「今日はどうだった?」
私は父さんが病院に行った日、クズヒコの様子を尋ねるのが私の習慣になっていた。
父さんは洗濯物の回収、医師や看護師の説明、病院に常駐しているソーシャルワーカーと退院後の生活の相談といったことのために病院に行く回数が増えていた。仕方がないことなのだろうけれど、1日にまとめて済ませてもらうというわけにいかず、病院から連絡があるたび、父さんはどうにか時間をひねり出していた。当然、そのツケは決算期で慌ただしい業務や日常生活に回ってくることになり、父さんは見るのも可哀そうなくらい疲れ果てていた。
そんな父さんを見るたび、父さんをこんな目に合わせておきながら、のんきに病院のベッドの上で競馬を楽しんでいたクズヒコを憎らしく思った。
「あと1ヶ月くらいで退院らしい」
「同意書にサインするくらい危ない状態だったのに?」と私が驚いて聞くと、「ヤマを越えてからは順調に回復してるらしいよ」と父さんは答え、「ただ退院してからこれまでのような暮らしをすることは難しいだろうってことだった」と付け加えた。
「やっぱりそうなんだ」
短期間であれ生死の境を彷徨った80歳手前の高齢者の生活が容易でないことは、医療や福祉の勉強をしているわけではない私でも容易に想像がついた。
「クズヒコ自身はこれからどうするつもりなの?」
「元気になったら新聞配達を再開して、これまで通りの生活をするつもりみたいだよ」
「そんなことできるの?」
「まず不可能だろうね」
父さんによれば、クズヒコは元気になりつつあるものの、肺にかなりのダメージを受けており、退院しても常に酸素を吸入する必要があるということだった。
「どうやって酸素を入れるの?」と私が尋ねると、部屋にいるときは設置された機械からワンルームの部屋くらいであれば行き来することができるくらい長いチューブを鼻に入れて、外に出るときは小型の酸素ボンベを持つことになるらしいと教えてくれた。
「酸素ボンベなんか持って外出できるの?」
「小型のカートみたいなものに載せて、引っ張って歩くみたいだよ」
「そうなんだ。家の中では普通に暮らせる感じなの?」と聞いた私に「そうでもない」と父さんは答えた。
「引火する可能性があるからガスコンロなんかは使えないらしい」
「じゃあ、自炊ができないってこと?」
「うん」
「じゃあ、ご飯はどうするの?」という私の問いに、父さんは食事について以下の選択肢を挙げた。
① 電子レンジなどで調理できる冷凍食品をメインにする
② ヘルパーさんの派遣を依頼する
③ 弁当(コンビニ、スーパー、業者など)
④ 外食
「お金は大丈夫なの?」と私が尋ねると、「大丈夫じゃない」と父さんは首を振った。父さんはクズヒコの通帳をチェックした際に直近3カ月間の収支をまとめたものを見せてくれた。それによると収入は平均で17万円、支出は21万円となっていた。「赤字分はおそらく競馬」と私の顔を見ながら父さんは言った。
「思ってたよりも収入があるんだね」
「年金が9万弱、アルバイトが8万くらいだね。80歳近いことを考えたら頑張って稼いでいると思うよ。稼いだだけ使ってしまうのは昔から全く変わってないけどね」
「酸素にもお金かかるの?」
「かかるはずだよ」
「じゃあ、9万の年金から家賃や光熱費を払って、食費や酸素のお金を出さないといけないってこと?」
「うん。その他病院にも継続的に通院しないといけないだろうしね。まず足りないから貯金を切り崩してってことになるね。」
「貯金はあるの?」という私の質問に「定期預金が100万あった」と父さんは答え、「でもすぐに底をつくと思うけど」と付け加えた。
「そうしたらどうなるの?」
「ソーシャルワーカーさんの話だと、貯金が底をつきそうになったら生活保護を申請することになるだろうってことだった」
「生活保護を申請したら大丈夫なの?」という私の質問に父さんは首を振った。
「医療費なんかはかからなくなるけれど、自炊ができないから食費で倹約することが難しいし、年齢的なことを考えたら思いがけない出費がある可能性もある。だからきちんと計画を立ててお金を管理しないと足りなくなると思うよ」
「できそうにないよね」と私が言うと、「トム・クルーズも断るミッション・インポッシブルだね」と父さんは冗談めかして答えた。でもその目は全く笑っていなかった。
最終的にはきっと父さんがどうにかするんだろうな、と私は思った。