病院から帰ってきた父さんは思いのほか深刻な顔をしていた。

「どうだった?」と私が尋ねると、ひとこと「危ないらしい」と小さな声で答えた。

「自分で車を運転して病院まで行ったわけだし、わりに元気そうだったじゃない」と私が言うと、父さんは看護師から受けた説明を私に教えてくれた。

 

 クズヒコは重度の肺炎を起こしており、酸素を肺に送りこまれているらしく、この2、3日がヤマになるとのことだった。現在は状態に改善が見られないため、最も濃度の高い酸素を使っている状態らしい。

 

 「これにサインをしてくれって頼まれた」と延命治療拒否の書類を見せてくれた。

「延命治療をすると本人にかなり負担になるし、後遺症も残る可能性があるんだって」と父さんは言い、「厳密には親族ではないからサインはできないので、親戚に連絡して確認を取ってから代筆します、と答えてきた」と付け加えた。

 

 「本人には会えたの?」という私の質問に父さんは頷いて、「元気そうだった」と答えた。看護師さんによれば送り込んでいる酸素のおかげで本人は苦しさを感じずに済んでいるのだそうだ。

 

 夕食後、父さんは一番近くに住んでいる親戚(といっても2つ隣の都道府県だけれど)に電話で連絡を取り、事情を説明した。他の親戚にも連絡をして折り返し電話をもらうという約束がまとまったらしく、「明後日病院にサインをしに行くことになっていますので、お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」と言って父さんは電話を切った。

 

 「何か手伝えることある?」と尋ねた私に「何を手伝ってもらったらいいかわからない」と父さんは答えた。

 「親族じゃないから、万一のことがあっても部屋を解約したりすることもできないし、部屋のものを勝手に処分したりすることもできない。どんな保険に入っているのか保険会社も教えてくれない」

 

 今年80歳になるというクズヒコは10人兄弟の7番目らしいけれど、当然のことながら存命の兄弟姉妹はみなかなりの高齢で、ここまで来ることすら簡単ではないだろう。兄弟姉妹の子供や孫たちにしてもほとんど会ったこともない親戚の後始末をしたいとは思えない。トラブルまみれの親戚のために時間とお金を割くのは私だって嫌だ。

 

 私の考えていることが伝わったかのように、「なんだかんだ言って生き延びると思うよ。生命力だけは強いから」と父さんは言った。

 

 「それよりも退院したあと、一人で暮らすのが難しいってなったら、誰が引き取って世話をするのかで揉めるんじゃないかな。それに入院している間も洗濯物なんかを届けたりしないといけないだろうしね」

 

 あきらめたような父さんの口調から、少なくとも入院中は、それが自分の役目になるということを覚悟しているということが伝わってきた。

 

 私は父さんの話をきいて勝手にクズヒコが助からないものと決めつけていたけれど、回復することができた場合のことも考えておくべき必要があることだった。

 

 私の表情を見て、「エミリには迷惑がかからないようにするから、心配しなくていいよ」と父さんは付け加えた。

 

 父さんはそう言ってくれたけれど、私が心配していたのは自分に火の粉が飛んでくるということではなかった。私は一抹の不安を覚えながら、父さんの覚悟が「入院中」だけで終わることを祈っていた。

 

 残念なことに、私の悪い予感はよく当たる。