飲み会が終わり、「お疲れ様でした」と顔を合わせた人に挨拶をして、僕は駅へと向かう。時計を見ながら20分に1本やってくる電車にちょうど間に合うように少し早足で歩く。

 最寄りの駅に着くと、すぐには部屋に帰らず、帰りがけに週末に見るためのDVDを5本セットで借り、スーパーに寄ってポテトチップスとコーラ、それから次の日の朝食と昼食代わりの菓子パンとカップ麺を買ってアパートに戻る。あの日と同じように。

 アパートの前につくと、ひとつ深呼吸をする。集合ポストの脇には誰もいない。

 スーツを脱ぐ間に、2代目の電気ケトルでお湯を沸かす。お湯の沸くコポコポという音が部屋に響く。

 あれから電子レンジと冷蔵庫はそれぞれ一度ずつ買い替えた。部屋に増えたものといえばあとはノートパソコンくらいだ。

 「インターネットは世界をつなぐ」そんなキャッチコピーとともに20年くらい前にパソコンが急速に普及していった。facebookやTwitter、インスタグラムといったものが登場するたび、スーだけが分かる写真をアイコンにして、柄にもなく実名で登録している。世界がつながっているのかどうかは知らないけれど、インターネットではたった1人の人間すら見つけられない。

 スウェットに着替えて借りてきたDVDの中からグリーンブックを選んでデッキに入れる。ヴィゴ・モーテンセンがフライドチキンは手で食べるものだと教えている。ほらね、スー、やっぱりフライドチキンは手で食べるものなんだ。

 僕たちが過ごした最高のクリスマスの日に食べたケーキを買ったお店は去年潰れてしまった。僕が暮らしてきたとても小さな世界のあらゆることがスーに結びついていて、僕はこんなことをすぐに考えてしまう。

 あるいは小さなテレビの画面を食い入るように見つめていた花火大会の中継、手紙の中にあった北海道の景色といったスーに見せてあげられなかったもの、連れていってあげられなかったこともよく思い描く。スーにさえ笑われるかもしれないけれど、僕は今でもどうやって連れていってあげようかをよく考えるんだ。

 そういえば僕たちが映画館まで歩いた土手沿いの道の下に流れる川に、今年からホタルが飛ぶようになったんだ。地元の人たちが川にホタルを呼び戻そうと頑張っているらしい。僕もあの土手の道をウォーキングするとき、ごみを拾いながら歩いてる。少しでも役に立てればと思ってね。まだほんの数匹だけれど、スーが戻ってきたときに見せてあげたいと思ってるんだ。

 もちろんあのときこうすべきだったとか、ああすべきだったとか言い出したらキリがないけれど、僕があの頃、いろんなことを一生懸命考えることができていたのは間違いなくスーのおかげだ。

 

 ねえ、スー、これから僕はどうすればいい?