次の朝、僕はスーに栄養ドリンクを飲ませ、額のシートを貼り替えてから仕事に出かけた。勤務時間中は不安でたまらず、帰りがけに何を買って帰るべきなのか、その夜はスーのために何をすることができるのかを考えながら、ただ時間が過ぎるのを待った。

 帰りがけにスーパーで茹でうどんの袋と粉末のうどんスープ、それから卵やかまぼこといった具材とともにレトルトのおかゆと梅干を買って急いで部屋へ戻った。

 スーは朝と変わらず熱に浮かされた顔で布団に横になっていた。枕元に用意していたスウェットに着替えていること、ポカリスエットが減っていることを確認すると、僕は気分を少し落ち着けることができた。

 僕はうどんスープの箱の裏側に書いてある説明を読み、お湯を100g沸騰させて粉末スープ4分の1袋、うどんを4分の1玉入れ、卵を溶かしてスーのためにうどんを作った。

 「あなたは元気になるために何かを食べる必要があります」と僕は言い、スーの枕元に器を持って行った。スーは体を起こしてひとくちひとくち丁寧にうどんを口に運んだ。

 「とても美味しいです」とスーは小さな声で言った。

 スーが僕に対する感謝の気持ちを示そうと、無理に食べようとしているように思えたので、「もしも難しいなら、あなたはすべて食べる必要はありません」と僕は言った。

 「私は誰かにこんなに親切にしてもらったことがありません」とスーは言い、ぽろぽろと涙をこぼした。

 「私の父や母が今の私と同じように高熱で苦しんでいたとき、あなたのような人と出会えていたなら、彼らはまだ生きているのにと思います」

 僕は何と言っていいのかわからず、ただスーの顔を見つめていた。

 次の日から、仕事から帰るとレトルトのおかゆを温め、梅干を入れてスーに食べさせた。食べきれない分は茶碗に入れてラップをかけ、電子レンジで温めるだけの状態にしてから仕事に出かけた。

 日を追うごとに僕の気持ちは少しずつ楽になっていった。正直言えば「病気の恋人を看病する」気分を楽しんでいたところもあるのだと思う。その当時は今と違って、「所詮インフルエンザ」という感覚だった。もちろん命を落とす人もいたはずなのだけれど、「インフルエンザ程度で会社を休むな」という風潮が当たり前のように受け入れられていたし、それに対する文句もほとんど聞かなかった。

 スーは38度台の高熱が続いていたけれど、インフルエンザにかかった場合はさほど珍しいことではないし、僕はどんなに長くとも10日もすれば元気になるものだと考えていた。

 看病生活の4日目、僕は朝から時々咳き込んでいた。身体も少しだるいような気もしていたけれど、僕はさほど気にも留めずそれまでと同じようにスーに食事を取らせ、その日の着替えやスーの身体の下に敷いておいたバスタオルを洗濯しつつ、スーパーで買ってきたお惣菜とご飯を食べた。念のため、寝る前に風邪薬を飲んだ。ごほごほという僕の咳の音で目を覚ましたのか、眠っていると思っていたスーが薄目を開けてこちらを見ていた。

 「元気になったら、今月のオペラはヴェルディの『アイーダ』にしましょう」僕は言い、部屋の電気を消した。

 次の日も僕はそれまでと同じようにスーの枕元にポカリスエット、栄養ドリンク、着替えのスウェットとシャツなどを並べ、冷蔵庫に前夜用意したおかゆにラップをかけて入れた。それから布団に横になっているスーに「十分以上に水分をとってください」と声をかけてから部屋を出てドアに鍵をかけた。そして鍵がかかっているかどうかを確認するため、ドアノブを引っぱると、誰もいない廊下にガチャガチャという音が響いた。

 

 それが僕が最後に見たスーの姿になった。