仕事を終え、帰りがけにあるスーパーのお惣菜のコーナーで鶏のから揚げと白身魚のフライ、それからサラダを選ぶ。レジでは「買い物袋はお入り用ですか?」という質問に首を振り、カバンの中に畳んで入れているビニール袋を取り出して精算の終わった商品を詰める。

 スーパーの2階に移転したレンタルDVD店で週末に見る海外ドラマを借りる。「ハウス・オブ・カード」は僕と同じタイミングで観ている人がいるらしく、今日は先週の続きを借りることができなかった。

 部屋に戻って服を着替えた後、お惣菜を電子レンジで順番に温め、タイマーをセットしておいた炊飯器から茶碗にご飯をよそう。そして一人きりの夕食を始める。

 買ってきたお惣菜を皿に移すのをやめてそのまま食べるようになったのはいつからだろう。いや、食べるように「なった」のではない、「また食べ始めた」と言うべきだろう。

 スーがいなくなった後、自分で続けているのは「お徳用」と書かれたお茶のティーバッグを買ってきて、自分でお茶を作っていることぐらいだ。

 ベランダに並んでいた野菜の入ったプランターは土を出して隅に重ねておいたのだけれど、日差しや風雨にさらされているうちにぽろぽろと崩れ出したので、やむを得ず処分した。燃えないゴミの日に出すためにプランターを持ち上げると、プラスティックが劣化していたのだろう、ただ軽く触れただけなのにいくつかは小さな乾いた音を立てて壊れた。

 スーがティッシュペーパーの箱に新聞の広告でカバーをつけて作った5段重ねの小物入れはそのままの場所に置いてある。新聞が風化して黄色がかっているけれど、もちろん捨てたりはしない。掃除をするときもカバーになっている新聞が破れないように細心の注意を払っている。

 スーが必要な部分だけを丁寧に切り抜き、100均で買ってきたクリアファイルにまとめてある料理雑誌はもちろん、彼女が英単語を覚えるために使っていた英検の単語集は小さな本棚にきちんと並べられている。押し入れの中の衣装ケースの引き出しの1つは、今も彼女のためのものだ。

 洋服はほとんど買わなくなった。ワイシャツの色があせたり、スーツの袖やポケットが擦り切れたりして傷みが目立つようになると新しく買い替えるくらいだ。

 朝は基本的に寝癖を直すくらいだけれど、ときどき思い出したようにスーがしてくれていたように髪形を整えてみる。でも彼女がしてくれていたみたいに上手くはいかない。一度せっかく彼女がセットしてくれていたのに、僕が忘れ物をしたことに気づいて走って部屋に戻ってきたので、髪型がオールバックになってしまい、二人で大笑いしたことを懐かしく思い出す。

 朝、顔を洗ったときに白髪が増えてきたなと思った日、たまたまベテランの女性社員が若手に「課長も若い頃、格好良かった時期があったのよ」と言っていたのを聞いたので、散髪するときにカラーもしてもらうようになった。「黒くしてください」と頼んだら、「お客さんの髪質だと黒くすると不自然になりますよ。赤茶色を少し混ぜると自然になります」と言われたので、その提案に従っている。

 もちろん別に社内でいいところを見せようとしているわけではない。僕の生活はずいぶんだらしなくなってしまったけれど、あの日の約束通り、スーが戻ってきたときに少しでも彼女をがっかりさせたくないだけだ。

 一緒に生活する時間が長くなるにつれ、多少の気分の緩みは出てきていたことは間違いない。でも問題はそこではなかった。今考えれば少しだけ気をつけてみればすぐにわかることなのだけれど、スーが最も恐れていたことに僕が気づかなかったことが原因だ。

 僕は最悪の形でそのことを知ることになった。

 たぶん誰かが知ったら馬鹿げた話だと大笑いされるのだろうけれど、僕は必ず戻ってくるというあの日のスーの言葉を、今日もまだ一人きりの部屋で信じている。