スーが自分の生い立ちについて少し教えてくれたのは一緒に暮らすようになって半年ほど過ぎたころだった。僕が予想していた通り、彼女はアジアにあるA国の出身だった。彼女は貧しい農村に生まれ、幼いときに両親を亡くした。仕方なく母親の弟夫婦の家で暮らすようになったが、その親戚の家も生活は苦しかった。

 「そこの子供たちは私を虐めました。それから彼らの両親は私たちだけが生活することも苦しいにもかかわらず、どうして他人の子供の世話をしなければならないのか、と私の目の前で、あるいは意図的に私に聞こえるように言いました」

 僕は親戚夫婦に何人子供がいたのかを尋ねた。

 「6人です。男と女が3人ずつ。みんな私と同じくらいの年齢です」と彼女は答えた。

 「私は食事もできるだけ食べないようにして、他の子供たちよりも一生懸命に働きました。他の子供たちよりも多くお金を稼ぐようになると、彼らの両親は私を悪く言わなくなりました」

 僕は彼女が食事や洗濯を積極的に、そしてそつなくこなしているのはこのときの経験によるものなのかなとぼんやりと思った。

 「しかし他の子供たちは私を妬みました。そして少し成長すると私は村の若い男の人たちから交際を申し込まれるようになりました。私はそれらすべてを断りましたが、他の子供たち、特に女の子たちはそれを面白いと思っていませんでした」

 スーによれば弟夫婦の娘たちが結託し、日本での仕事を紹介するブローカーに話を持っていったとのことだった。

 「ある日突然、知らない男の人たちが来て、私は彼らと一緒に行かなければならないと言いました。私は母の弟の夫婦に泣きながらここに置いてほしいと頼みました。しかし彼らはすでにお金を受け取ってしまっていました。そのお金は彼らにとってとても魅力的だったのです。私はそのままほとんど何も持たずに男の人たちに連れていかれました」

 スーはそこまで話すと、悲しそうな顔をして遠くを見た。

 「そこには私と同じような年齢の女の子たちが何人かいました。私たちは日本に連れてこられた後、別れ別れになりました。私たちのうちの3人がこの街に来ました」

 スーはそれから6畳ほどの部屋に同じような境遇の女性5人と生活し、そこから仕事場に通うことになった。

 「私たちはただそこで寝るだけでした。仕事に行く前にシャワーを浴びて、仕事場のバーでメイクをして衣装を与えられました。仕事を始める前に『ありがとうございます』など、いくつか日本語を教えられました。」

 あの日がやってきたのはスーが歓楽街で働くようになってしばらくしてからのことだった。

 「ある日、私はお店に出ずに特別なお客さんの相手をするように言われました。そのお客さんは車で私を迎えに来ました。彼はとてもお金持ちのように見えました。そこで働いている人たちは何度も彼にお辞儀をしていました。そして一緒に働いている女の子たちの何人かは私のことを羨ましそうな顔で見ていました」

 スーは英語力の乏しい僕が理解できるよう、できるだけ簡単な単語を選びながら簡潔な文章で話をしてくれた。本当はもっとたくさん聞いてほしいことがあるということがスーのまなざしから伝わってきた。彼女の話を完全に理解することができない自分が恨めしかった。

「彼は上着を脱いでから助手席に座るように言いました。彼は日本語で何かを言いながらしばらく運転していました。たくさんのホテルがある通りに車が入ったとき、私は彼の目的を確信しました。私はドアを開けて逃げ出しました」

 それが12月22日の出来事だった。

 「私はどこへ行くべきかわかりませんでしたが、一生懸命走りました。あまりに寒くて空腹だったので動けなくなりました。その時にあなたが私を助けてくれました」

 僕の脳裏に真冬に半袖のシャツとショートパンツという格好で、怯えた目をしてこちらを見ていたスーが蘇った。

 「私はあなたに本当に感謝しています。私はお礼を言うことしかできない自分が悲しいです。」

 スー、それは違う。僕の生活をいいほうに変えてくれたのは、君なんだ。