次の朝、スーはそれまでと同じように僕を送り出してくれた。その日の夜、僕はスーに「今週末、豪華な食事を作ることはできますか?」と尋ねた。

 スーは少し不思議そうな顔をしながら「どのような食事を作ればよいですか?」と尋ねた。

 「レストランで出されているようなコース料理を作ってほしいです」と僕は言い、その日仕事帰りに書店で買ってきた「お家で贅沢、コース料理に挑戦」というサブタイトルのついた料理雑誌をカバンから取り出した。

 スーはぱっと顔を輝かせて雑誌を手に取り、1ページ1ページ丁寧に眺め始めた。しばらくして彼女は「明日この本をしっかりと読んで、メニューを決めるつもりです」と言った。

 スーのセレクトしたメニューの中に2、3日煮込む必要があるものがあったらしく、その週の半ばから、僕の部屋は美味しそうな匂いが立ち込めることになった。スーは雑誌を丁寧に読み込み、僕に買ってくるべき食材のリスト(正確を期すならばスーパーのチラシに赤いペンで印をつけたもの)を手渡した。仕事に行く前に印のつけられたチラシを渡されるのはいつものことなのだけれど、その週は何か特別な気分だった。

 僕が鼻をくんくん鳴らしながら香りを楽しんでいると、「土曜日を楽しみにしていてください」とスーは言い、「つまみ食いをすることは許しません」と悪戯っぽく笑って付け加えた。

 土曜日、スーが料理の仕上げに奮闘している間、僕は駅前の少し大きめの複合型スーパーまでフランスパンを買いに出かけた。それからテナントの中にある100円ショップで少ししゃれたデザインの器をいくつか選び、赤いテーブルクロスを買って部屋に戻った。

 僕はスーに「6時から食事を始められますか?」と尋ね、「僕はレストラン・スーに6時に1つテーブルを予約したいです」と言い直した。

 スーは「もちろんです」と答え、それから「かしこまりました。お名前を教えていただけますか?」と少し改まった口調で尋ねた。僕は名前を告げた後、「私たちは7時30分からオペラを見る予定です。それまでに食事を終えることはできますか?」と言った。

 スーは顔を輝かせて「承知しました。素敵な夜をお楽しみください」と答えた。

 その夜、僕たちは夕方6時きっかりに食事を始めた。100円ショップで買ってきたテーブルクロスや食器は傍から見れば幼稚なものなのだろうけれど、僕たちにとってはそれなりの雰囲気を作り出すのに十分なものだった。もちろん前菜からメインに至るまで料理も文句なしの味だった。

 僕たちは7時20分くらいまでに急いで片づけを済ませ、テレビの前に並んで座った。いつも映画を観るときは、コタツを兼ねたテーブルの上にポテトチップスや炭酸飲料のペットボトルを置いているのだけれど、その日だけはテーブルを部屋の片隅に立てかけ、テレビの前に置いたクッションに座った。そして7時30分きっかりに借りてきた「フィガロの結婚」の再生ボタンを押した。

 僕はストーリーをほとんど理解することができなかったけれど、スーは画面を食い入るように見つめていた。そんなスーを見ながら、映画「プリティーウーマン」で、ジュリア・ロバーツが「椿姫」を観に連れていってもらうシーンを思い出していた。

 オペラが終わるとスーは思わず拍手をしそうになり、それから恥ずかしそうに笑った。

 布団を敷いて灯かりを消す前に、スーは「あなたの思いやりに感謝します。私はあなたのおかげでコンサートを楽しむことができました」と言った。僕は「どういたしまして」と答え、「毎月1回、最後の土曜日にコンサートを楽しむのはどうですか?」と提案した。スーは嬉しそうに何度も何度も頷いた。

 その夜、暗くなった部屋で横になった後、僕の目から不意に涙がこぼれた。僕はスーに気付かれないように布団の中にもぐりこみ、上手く説明することのできない感情と向き合っていた。