今僕が勤めている会社は父と母の命を奪った事故を起こした会社が斡旋してくれたものだ。僕の両親が巻き込まれた事故は「ドライバーの居眠り運転で両親を失った少年」というテーマでワイドショーなどに取り上げられ、世間の注目を集めることとなった。その当時は現在と比較すると個人情報などはあまり考慮されておらず、無遠慮な芸能レポーターが僕たちの生活に大きな顔をして入り込んできた。僕だけでなく親戚たちや当時通っていた専門学校の関係者も一通り取材を受けたらしい。僕も通学中に何度かマイクを向けられたり、インターホン越しに「お気持ちを聞かせてください」という取材を受けたが、どのように対処すればよいのかわからず、そのたびに小さな声で「すみません」とだけ答えた。

 運送会社に対する取材が進むにつれ、事故当時は深刻な人手不足により、かなり無理なシフトをドライバーたちに強いていたことが明らかになった。会社の業務形態についての新情報が明かされるたび、必然的に僕の両親の事故のニュースの説明が繰り返され、僕の置かれた境遇がいかに悲惨なものかがかなり誇張して報道された。クラスメートたちの証言は「もともと友達もおらず、ほとんど会話をしたことがない」という部分が削られ、「事故のショックで誰とも話をせず、ぽつんと一人でいることが多い」というかたちに作り替えられていた。取材を受けても「すみません」としか答えない僕の反応は、運送会社を叩くという狙いに沿ったワイドショーなどに組み入れられ、事故を起こした運送会社に対するバッシングは過熱していった。

 結果として、僕は会社から通常よりもかなり手厚い補償を受けることになった。会社側からすると、おそらくは僕だけでなく社会的にも誠意を示す必要があったのだろうと思う。「両親を殺した会社からの施しなど受けるべきではない」と一部の親戚が憤っていた時期もあったけれど、金銭的な補償などを含めた対応に触れるにつれ、一族の反応は徐々に「できるだけのことはしてもらった」という感情へと変わっていった。

 入社前に「両親を事故で失い、ショックを受けている」という説明が他の社員にあったことは容易に想像がついたけれど、そのおかげで誰からも必要な状況以外では話しかけられなかったことは有難かった。この情報は新しいスタッフが加わるたびに伝言ゲームのように先輩から伝えられているらしく、年月が過ぎてスタッフの顔触れが変わっても、他の社員たちの僕に対する姿勢はほぼ同じままだ。慰謝料や親にかけられていた生命保険、それから人に貸している実家の賃貸収入など、僕の資産が話のネタにされているということに薄々感づいてはいるけれど、たぶんそれは仕方のないことなのだろう。