両親が死んだ日、正確にいうと、両親が死んだことを告げられたときのことはよく覚えている。僕は専門学校の2年生で、午前中3コマ目の簿記の授業が始まってしばらくしたところだった。簿記の授業だったということをはっきり覚えているわけではない。どういうわけか理由は分からないけれど、ホワイトボードに赤いマーカーで書かれた「定額法」という文字が脳裏に焼き付いているので、おそらくは減価償却についての説明が行われていたのだろう。講師が出席をとり、何らかのプリントを配って授業を始めたところで教室のドアがノックされた。講師は説明を中断し、いったん廊下に出て連絡事項を伝えに来た職員と何やら話をしていた。

 講師は教室に戻ると教壇には向かわず、まっすぐに僕の席のほうに歩いてきた。そして僕のところまで来ると、小さな声で「ご両親が事故に遭われたらしいから、すぐに荷物をもって事務室まで行くように」と告げた。

 僕は言われた通り、筆記用具やテキストをカバンにしまって教室を出た。教室の外には先ほどの職員が待っていた。職員の後について階段を降り、1階の廊下を進んだ。職員は事務室の前を通り過ぎ、事務室の前で立ち止まった僕に、「こちらへ」と言った。

僕たちはそのまま校長室へと進み、職員がドアをノックした。「どうぞ」という声とともにドアが開き、校長が僕を手招きした。職員は一礼してその場を去っていった。

校長は応接用のソファを僕に座るよう勧め、自分も僕の正面に腰を掛けた。

「先ほど警察から連絡があって、ご両親が交通事故で亡くなったそうだ」と校長は静かに言った。

「もうじき親戚の方がこちらに来られるから、一緒に帰りなさい。しばらく学校は休むことになると思うけれど、単位のことなんかは何も心配しなくていい。学校としてもできることとはなんでもするから遠慮なく相談してください」と穏やかな声で言い、僕はどう反応していいのかわからず、「ありがとうございます」と言った。

 親戚が来るまでの間、校長は表現を変えながら、学業、精神面、経済面でのサポートをするという話を繰り返した。校長室のドアがノックされ、伯父と伯母が学校に着いたという知らせを受けると、校長はほっとしたような表情を浮かべた。何度目かの「困ったことがあったら、何でも相談するように」という言葉に礼をしながらお礼を言い、僕は呆然とした表情の伯父夫婦と学校を出た。

 僕は伯父が運転する車の後部座席で、校長が僕を座らせたソファは上座にあたる場所だったなと、少し前にあった就職対策の授業で習ったことを思い出していた。