正月は私が勤めているような学習塾にとっては掻き入れ時だ。私は本社勤務ではあるけれど、正月特訓を行っている校舎に朝から手伝いに行き、帰ってきたのは夜の9時過ぎだった。お節料理の残りを急いで食べ、自分の部屋に戻ってテレビの電源を入れてBS放送にチャンネルを合わせた。
私の目当てはウィーンフィルのニューイヤーコンサートだった。タクと付き合うようになってから、お正月はニューイヤーコンサートの最後の2曲を聴くことが私の習慣になっていた。
「大学に入って最初のカルチャーショックがすき焼きだったんだよね」
タクがそう言ったことをよく覚えている。
「すき焼き?」
「うん。バンド仲間ですき焼きをしようって話になってさ、みんなでスーパーに買い物に行ったのね。肉や白滝、豆腐なんかを一通り買い物かごに入れた後、忘れてるものはないかって話になったんだ」
「それで?」
「そこで俺が『あ、ニンジン忘れてるじゃん』って言ったら、全員に『えっ?ニンジンなんか入れるの?』て言われて、すごい衝撃を受けた」
「確かにニンジンは入れないなあ」
「よその家のすき焼きって知らないからさ、自分の育った家のすき焼きがスタンダードになるから、どこもそうだって思っちゃうじゃない?」
それから私たちはお互いの家のメニューや習慣を話し合っているうちに、話題は正月の過ごし方になった。
「田舎のお正月って親戚一同が集まって賑々しいイメージ。みんなで紅白を見て、お節料理なんかも本格的な感じで」と私が言うと、「そんな感じかなあ」とタクは頷き、「あとうちの正月に欠かせないのはハム」と付け加えた。
「ハム?」と私が聞き返すと、「やっぱりうちだけかあ」とタクは笑い、「すき焼き事件以来、薄々そんな気はしてたんだ」と言った。
「お節料理と一緒に贈答用みたいなハムが盛り付けてあるんだ。子供の頃ってあまりお節料理とかって好きじゃないじゃない?だからハムばっかり食べてた」
「お歳暮でもらったものをついでに切るって感じじゃなくて?」
「お歳暮でもらったのもあるんだろうけど、自分の家で食べるために買ってくるよ」
「でも、お正月用の買い物にデパートに行ったとき、ハムのコーナーがあった気がするから、結構食べてる気もする」と私が言うと、「じゃあ、うちだけの文化だという結論は保留にしておこう」とタクが言った。
「あと、もちろん紅白見る親戚もいるし、小さい子たちはバラエティー番組なんかを見てるけど、俺はジルベスターコンサートを観たりする」とタクが付け加えた。
「ジルベスターコンサート?」
「うん。ちょうど年が変わる瞬間に曲が終わるように演奏されるんだ」とタクは言い、ちょうど電源が入っていたパソコンでYoutubeの動画を見せてくれた。エルガーの「威風堂々」が終わると同時に、クラッカーがステージの両端から鳴らされ、「A Happy New Year!」という文字が映し出された。
「かっこいいね」とお世辞抜きに私が言うと、「ときどき微妙に時間が余ったりすることもあるんだけどね」とタクは笑い、「あと正月はウィーンフィルのニューイヤーコンサートを観るよ」と付け加えた。「小さい頃から聴かされてるから、これを観ないと新年って感じがしないんだ」
「聴いてみたいけど、クラシックってよくわからないの。音楽の時間に出てきたビバルディの四季と魔王ぐらいしか知らない。魔王はシューベルトだっけ?」と私が言うと、「正確には「四季」の「春」ね。「四季」って言っても夏から冬は「ウィリアム・テル」の前半の8分くらいなんかと同じくほぼ無視されてる。ボーカル以外は名前が知られていないバンドみたいだよね」とタクが答えた。
「ウィリアム・テル?リンゴの話?」と私が尋ねると、タクはそうそうと頷き、有名なファンファーレの部分を歌った。
「それは聞いたことある」と私が言うと、「イメージ的には曲の始まりだけど、曲が始まって8分くらい経って突然この部分になる。ポール・マッカートニーの『バンド・オン・ザ・ラン』みたいな感じ」とタクは言った。
「ニューイヤーコンサートは最後の2曲だけ聴いたら雰囲気味わえると思うよ」とタクは教えてくれ、Youtubeで探してくれた「美しき青きドナウ」と「ラデッキー行進曲」を観た。「今年のお正月は聴くね」と私が言うと、「来年だろ?今年はもう終わった」とタクが笑った。それ以来私も手拍子付きのラデッキー行進曲を聴かないと、新しい年が来たという感じがしない。
あと、クラシックと言えば、私の通っていた小学校では、掃除時間になると、アイネ・クライネ・ナハトムジークが6年間流れていたので、アイネ・クライネ・ナハトムジークを耳にすると掃除をしなければならない気分になる。タクに話そうと思っていたけれど、忘れてしまっていたことをラジオを消したときにふと思い出した。