「うちの親が鹿の肉を置いて帰ったんだけど、食べる?」とタクに聞かれたことがある。ジビエという言葉が一般的になる少し前のことだ。

 「臭いイメージがあるんだけど、どんな味がするの?」と私が尋ねると、「ちゃんと血抜きをすれば匂いもほとんどないし、固いってイメージがあるかもだけどほんとは柔らかいんだよ」とタクは答え、「ウィキペディアによると」と付け加えて笑った。

 正直な告白に私も笑いながらインターネットで調べてみると、豚肉などに比べてカロリーや脂質が低く、鉄分が多いとあったので食べてみることにした。ステーキで食べるには少し抵抗があったので、鍋いっぱいにシチューを作ってみた。タクは「地元で食べさせられたカレーより全然いい」と感想を言ってくれた。

 「食べさせられた?」

 「うん。うちの実家のあたりで鹿の農作物への被害が深刻になってね、駆除するだけじゃなくて何か利用できないかって商工会で話になってるんだ。それでこの前カレーを食べさせられた」

 「どうだったの?」

 「普通のカレーだった」

 「普通のカレーって?」

 「ハルカも言ってたけど、臭いとかってイメージがあるから、カレーにしたら臭みが取れると思ったらしくてね。でも臭いが消えるどころかカレーの味が勝っちゃって。あと鹿肉をミンチにしてたから、鹿肉だということが全く分からなかった」

 「そっかあ」

 「ヘルシーな鹿の肉のカレーが食べられますって宣伝したら、最初はお客さん来るかもしれないけど、わざわざ1時間以上かけて車を運転して来てみたら普通のカレーだったってことになったら、もう来なくなると思うと伝えた」

 「言われてみれば確かにそうね」

 「むしろ美味しいカレーを作って、美味しいカレーのお店を出した方がリピーターが多くなるんじゃないかなあ」

 その後タクは強制的に「鹿肉プロジェクト」のメンバーに入れられ、地元の商工会の会議に参加させられるようになった。プロジェクト発足当初、会議は隔週金曜日、商品化が近づくと毎週金曜日に商工会のメンバーが仕事が終わった夜7時くらいから始まるため、タクはそれに合わせて実家に帰らざるを得なくなった。でもタクは週末全てを実家で過ごすことはせず、土曜日の夜には戻ってきてくれた。

 「感想を聞かれたときに、どうせミンチにするならパテにして、地元の野菜なんかと合わせたハンバーガーでも作ってみるのはどうですか、って言ったのが失敗だった」とタクはぶつくさ言った。

 「最初は真面目に話し合ってたんだけどね。みんなが仕事が終わった週末の夜に話し合いをした後、飲み会になるんだよ。むしろそっちを楽しみにしてる人のほうが多くなってる気がする。田舎のおっさんたちの飲み会のために片道1時間かけて帰りたくないよ」

 「例のネーミングのセンスがないお店で?」

 「そうだよ。ママの娘が今年高校を出て店を手伝い出したから、おっさんたちが娘に群がってる。それを見てますます参加する気が失せた」

 その言葉が示すとおり、タクは「卒論のグループの打ち合わせがある」というもっともらしく聞こえはするが、常識的に考えればすぐにわかる嘘をでっち上げ、会議が終わるとその日のうちに戻ってくるようになった。