「タクヤくん、すごいね!」

 そんなメッセージが何通か届いたのは、私がロースクールで留年がほぼ確定したころだった。最初は何のことかさっぱりわからなかったけれど、適当にメッセージのやり取りを続けるうちにタクが名のある文学賞を受賞したらしいということがわかった。人違いであることを願いながらインターネットで検索してみると、ニュースサイトにはタクの写真が受賞作の簡単なあらすじとともに掲載されていた。さらにタクの本名を検索サイトに打ち込んでみると、タクのfacebookとともに数多くの記事がヒットし、全文を読まなくとも記事のタイトルだけでタクのデビュー作の売り上げが好調であること、人気のある俳優を主演に据えて映画化する予定があることなどが読み取れた。

私はこわごわタクのfacebookを開いてみた。登録はしてみたけれど、ほとんど投稿することもなく飽きてしまったことが一目でわかるタクのページには、大量のお祝いコメントが溢れていた。友達登録されていない人からも多くのコメントが届いており、有名になると友達が増えるというのはこういうことなのかなとぼんやりと思った。

タクはひとりひとりに返事を書くのが面倒くさかったのだろう、「たくさんのコメント有難うございます。賞の名前を汚すことのないよう、一層努力していきたいと思います。これからも応援よろしくお願いいたします」と投稿していた。

 

「元カレが何か賞を取ったんだって?」と平静を装いながら彼が尋ねてきた。

私は出来るだけ興味のないふりをしながら「そうみたい」と言い、「ちょっと前に友達が連絡してきた」と付け加えた。

「どうして知っているの?」という質問が喉まで出かかったけれど、私は言葉を飲み込んだ。彼の部屋に行ったとき、偶然パソコンの閲覧履歴が表示されており、その中にタクのfacebookが含まれていた。私がどんな相手と付き合っていたのか気になって調べてみたのだろう。タクの受賞は当然ネットニュースにもなっていたようだから、ニュースを見て、受賞したのがタク本人だと確認したに違いなかった。

私の進級が難しくなったあたりから、私たちの関係はぎくしゃくし始めていた。「留年したら」という可能性の高い未来の話を私たちは出来るだけ避け、彼は「最後の最後まで可能性を信じて諦めずに頑張ろう」と今振り返れば安っぽい青春ドラマのようなセリフを繰り返していた。

留年した場合、実家から離れた県外の大学のロースクールを続ける費用は出さないと入学前に親から言われていた。もちろん合計で1年当たり200万を超える学費や生活費をカバーする貯金などもあるはずもなく、留年するということは、私がロースクールを中退し、実家に戻って就職先を探さなければならないこと、そしてそれは私たちの関係が終わる可能性が極めて高いことを示していた。

「できるだけのことはするから」と彼は言ってくれたけれど、「できるだけのこと」が具体的には何なのか、私も彼も怖くて口には出さないでいた。

「もったいないことしたね。俺と付き合ったりせず、元カレと別れなければよかったんだろうね」と彼は自嘲気味に言った。私は彼が望んでいるであろう通りに「馬鹿なことを言わないで、私が好きなのはあなたなんだから」と強めの口調で否定した。

「ありがとう」と彼は言い、私たちはぎこちなく当たり障りのない会話をしてそれぞれの部屋へと帰った。

その日から、タクの話題を出さないということは、私たちの間の暗黙の了解から破ってはならないルールへと変わった。