父さんはその夜、再度クズヒコの部屋へと出かけた。着替えを届けてほしいと言われたときのために下着類をまとめて持って帰ってくることと、入院費の支払能力があるかを確認するために通帳類をチェックすることが目的だった。

 父さんがクズヒコがメインで使っていると思われる地銀の通帳1冊、ほとんど使われていない第二地銀、JA、ゆうちょ銀行の通帳を発掘して帰ってきたので、私は翌日に記帳してくることを申し出た。

 

 私は次の日、大学内のATMでそれぞれの通帳を記帳した。通帳のうち2冊は何も記帳する取引はなかったが、残りの2冊は通帳をATMに差し込むとジージーと何やら記入する音が聞こえた。

 

 私が家に帰ってから父さんに通帳を渡すと、内容を確認した父さんの顔が曇った。  「どうしたの?」と尋ねた私に「この週末も何やらお金を出し入れしている」と父さんは答えた。

 私が「生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのに?」と言うと、父さんは通帳を見せてくれた。確かに先週末、よくわからないアルファベットの記号と共に2千円程度のお金が出金されていた。

 

「何かの支払かな?」と不思議そうな顔をした私に「競馬だよ」と父さんは呟き、「たぶんスマホに競馬のアプリか何かを入れて、そこから馬券を買ってるんだと思う」とため息をつきながら付け加えた。「その病棟で一番危険な状態だからって、特別にナースステーションのすぐ隣の個室に入れてもらっているのに、いい気なもんだよね」

 

 私は話を聞きながら、すぐにでも病院に行って、クズヒコの酸素チューブを抜いてやりたい衝動にかられた

 

 父さんの推理通り、ほぼ毎週末にいくばくかのお金が出金されており、ところどころJRAという文字とともに入金がある週もあった。

 

 私が「昔から競馬してたの?」尋ねると、「借金まみれだったときにもやってたよ」と父さんは答えた。父さんによれば、クズヒコは「給料袋を落とした」という見え透いた嘘をついて、家庭に入れるべき生活費をこっそり自身の借金返済を目的とした馬券購入に充てることもあったらしい。

 

「一度当たりもしない馬券を買うなら、そのお金を家に入れろ」と言ったら、「「お前が母さんに競馬のことをばらすまでは競馬の儲けできちんとやりくりができていたんだ」って逆ギレされたこともある。大学生のこっちが自分のアルバイト代でいろんな支払いをしてることを言ったらふてくされて黙ったけど」と父さんは言った。

 「その後はどうなったの?」

 「思い切り殴ったら、「あんたにはもう二度と迷惑をかけん!これまで払ってもらったものも全部返してやる!」」って家から出て行った」

 「返してもらったの?」

 「そんなわけないじゃん。しれっと夜中に戻ってきて、次の日からも何事もなかったかのように生活していたよ」

 「大変な大学時代だったんだね」と私が言うと「やっと縁が切れたと思ってたんだけど」と父さんは言い、「親は選べないから」とぼそりと付け加えた。

 

 2日後、病院に下着類を届けに行った父さんは、コロナ対策で病室に入ることはできなかったので、対応に当たった看護師さんに「ひょっとして競馬をしたりしてませんか?」と尋ねた。看護師さんは笑いながら「病室から「行けー!」っていう声が聞こえてきますよ」と教えてくれたとのことだった。

 

 私は看護師さんに謝りながら頭を下げている父さんの姿が脳裏に浮かび、いたたまれない気持ちになった。

 

 そしてこれまで、たとえ私がふてくされていたり、ひどいことを言ったときでさえも、父さんが自分のことよりも私を優先させてくれてきたということに改めて気づいた。

 

 親だから当然のこと、と言う人もいるかもしれないけれど、それはきっと、口で言うほど簡単なことじゃない。