増田俊也が、大学スポーツに打ち込む学生を応援するサイトに寄稿した文章を読んだ

若者に向ける柔和な増田節が沁みる

https://4years.asahi.com/article/15095808


そこに紹介されていた沢木耕太郎「無名」を読了

作者が、何者でもない老父の、脳内出血による入院から死までの半年程度の期間について書いたもの


筆者が、介護の途中から、読書と酒以外には自己顕示欲含めほとんど欲のない老父について知ろうとするなかで、老父の趣味であり、唯一といって良いほどの痕跡となりうる俳句を整理していく

ひぐらしや雲あかあかと空のはて

秋遍路行くあの雲にはなれずして

この路のつづくかぎりのコスモスぞ

など、力みやてらいのない俳句を吟味していく


いつの間にか五七調が身に付いた筆者が、


亡骸の髭剃る部屋に雪よ降れ

と詠む

が、自分の死が特別に浄化されることなど望みはしなかったはずだ。ただ死を死として受け入れてくれる家族がいれば、それで良かった

夕暮れどきの空を見上げると、そこにはとうてい雪など降りそうもない冬の透明な空があるだけだった。

それでよし。

私は父の代わりにそう呟いた。


祖父の趣味が俳句なので、余計に没入して読んだ


祖父母が、それぞれ幾度もの入院からその都度生還し、住み慣れた家で暮らせているのは奇跡的であることを改めて実感する

入院すると衰えてそのまま亡くなるケースはとても多い


祖父は自分を語れるがもはやボケてしまった

祖母はいつどうなるか分からない

貴重な時間だ

大事にするのだ