なぜ、まだ、こんな事案が起きるのだろう。
北海道で、授業中にトイレに行きたいと訴えた児童に対し、教師は拒絶。そのうちの1人は下着を汚してしまったという。
記事によると、トイレ退出を訴えたのは3人。最初の申し出を教員は許可しなかった。
このうち2人は再度、訴えたところ、教員は退出を認めた。
ところが、残る1人は、もう一度声を上げることはできず、漏らしてしまった。
着替えもできないまま下校し、保護者がお漏らしに気付いたという。
かわいそうに。
このお漏らしをした子の立場を考えてみたい。
トイレに行きたいと勇気を出して訴えたのに、ダメと言われる。
クラスメイト2人はその後、2度目の訴えでトイレに行かせてもらったが、この子は言い出せない。
言い出せないまま、我慢の限界を迎え、下着を汚してしまう。
汚れた下着のまま、授業を受け、帰宅する。
保護者に気付かれ、教室で起きた辛い出来事を話さなければならない。
どれもこれも、つらいことばかり。
なんでこんな目に遭わせるのか。
お漏らしをすることがどれだけ恥ずかしく、屈辱的なことか。
教員はわからないのだろうか。
仮に嘘だったとして教員が騙されたとしても、それはお漏らしをしてしまう子を生むより、はるかにましなことではないのか。
いろいろと怒りがつのって、このニュースから数日たってもまだ、うまく気持ちをまとめることができない。
同じような事案は、昨年も茨城県で発覚している。
ただ一つ、救いを見いだせるとしたら、トイレ退出を認めないことが不適切な対応だと教育委員会が判断していること。昔だったら、懲戒処分も注意もなく、闇に葬り去られた事案だろう。わずかながら前進しているともいえる。でも、すでに「犠牲者」が出てしまっている。おそらくお漏らしをした子はずっと、この出来事を覚えているだろう。教員の減給1か月という処分は、一生の傷を負った子供の気持ちを考えると、釣り合わない。もっと処分を重くしろとはいわない。こんなせつない事案が起きないように、教員の方々は、子供の排泄に寛容になってほしい。