今朝の夢はLUNASEAのSUGIZOが出演した。

わたしが小学生の頃から30年愛してやまない、人生における本命男性だ。

彼に恋焦がれるようになったのは小学3年生くらいの頃だろうか。

 

この世のものとは思えない美しさ、

ヴァンパイアのような目つき、

中性的でありながらスラリと伸びた首元や指先に男性的な色気を放つSUGIZOさま。

その見目麗しいSUGIZOの虜になり、早30年。

 

もともと美しい生き物が好きだった。

ドラマCD「花より団子」で花沢類の声優を務めた頃の木村拓哉、

長い手足に端正な顔立ちの17歳の長瀬智也。

はじまりはジャニーズだ。

 

そしてLUNASEAとの出逢いの衝撃。

この不安にもなりつつ、現実からかけ離れた神話のような世界観。

そして、この麗しい男性たちは一体なんなのだろう?

甘美な音色、甘さと荒々しさを兼ね備えた声。

 

そして小学生ながらに最も興奮を覚えたのはSUGIZOだった。

LUNASEAにはじまり、GLAY、SOPHIA、黒夢、Penicillin、Eins;Vier、Pierrot、FANATIC♢CRISIS…

La'cryma ChristiやROUAGE、Laputaなんかも聞いただろう。

 

なかでもSUGIZOは別格で、神さまのような…神様以上の存在だ。

一種の宗教と言えるかも知れない。

それほどSUGIZOを愛し、崇拝した。

愛娘にルナと名付けるSUGIZO同様、人生で最も大切な息子にルナと名付けた。

 

小学生や中学生のころ、

いつも彼らのことで頭がいっぱいだった。

授業中も、部活中も、家に帰っても、夢の中でも。

わたしの妄想癖と、夜に迎える夢の時間をこよなく愛すドリーミーなわたしの人格は、

きっとこの頃に形成されたのだろう。

 

子ども心に、「これは人様には言ってはいけない」と認識していたのだから、

立派な性癖と言えるのかもしれない。

そしてまた、同年代に性的な魅力を感じられないのは、彼らの存在が大きすぎるからだ。

高校生の頃に彼らは活動を休止することになり、直後の妊娠中にも、出産後も、

元夫が逮捕されたときも、二人目の妊娠時も出産時も、育児中も、一夜限りの復活はもちろん、離婚のときも。

わたしの人生には、どんな時だって「時の止まったLUNASEA」が日常に存在した。

離婚で憔悴してる頃、彼らはまた時を動かした。あの復活が、どれほど支えになっただろう。

人生はドラマだと痛感する。

それでも最近では性的な魅力というよりは、「美しいものを愛でる」目的でキンプリちゃんを愛でていた。

永瀬廉や平野紫耀の夢の出演時は、なぜか自分自身も18、9に若返り出演しているのだ。

 

そんななか、夜にやってきましたSUGIZO先生。

なにかのライブかイベントかに参戦し、興奮気味のわたしが隣の「誰か」に声をかける。

「SUGIちゃん、出るかな!?SUGIちゃん、出るといいね!」

 

すると隣の「誰か」はこう言う。

「SUGIZOはここにいるでしょう、出るも何も…」

30年愛してやまない彼の登場に慌てふためくわけでもなく、わたしは冷静に「確かに」と納得する半面、

そのトンチンカンな質問を誤魔化し取り繕うように、

「あ、いやTAKUROが…いや、確かにそうなんだけど、なんか興奮しちゃって!」

 

我ながら何を言っているのだろう。

冷静に考えて、隣にいるSUGIZOが出演するわけない。

そしてSUGIZOと同じように愛するHISASHIではなく、咄嗟にTAKUROの名前が出たのは、

SUGIZOとTAKUROの関係性を知っているからなのだろう。夢なのに現実的な判断でなんだか妙。

 

ここぞとばかりにSUGIZOの名前を呼び、膝元に甘えてみる。

しかし、SUGIZOの左隣に座った少年が「SUGIちゃんって誰?」と大きな声で質問するもんだから、

「バレたらいかん」と思ったわたしは、うまく少年の質問をかわし、

見事なまでに興味の矛先を別なところに向かわせる。

 

その言葉巧みで華麗な話術に、愉快になったSUGIZOとわたしは、

あれだけ興奮していたライブのようなイベントを放り出し、二人で歩き出す。

後ろから両腕を私の肩へまわし、うなだれるように冗談をいい笑いあう。

「男性から得られる幸福感で、これだけ心底笑いあったのはいつぶりだろう?」としみじみ思っているのが、

夢を見ている現実の自分。

 

そう、わたしは夢の中でも夢を見ていることにも自覚はあるし、夢をコントロールできる明晰夢使いなのだ。

幼いころから妄想癖のひどいわたしは、夢を見ては反芻し、また夢の中に戻ることを繰り返しているうちに、

「明晰夢」という存在を知らない中学くらいから、すでに明晰夢使いになっている。

 

だからなのか、夢を見るときはいつもドラマ仕立てで視点はいつでも三人称支店視点。

おでこに触れるSUGIZOのおでこ、

近づくSUGIZOの顔、

せっかくのSUGIZOのすべてが一人称視点ではなく、三人称視点。

客観的に夢を見ているため、リアルの自分はどこか冷静なところがある。

 

SUGIZOの甘い呼びかけに答える自分。

これほどまでに人を愛しいと思うことがあるのだろうか?とドラマに酔いしれる主人公の自分。

そして肝心のリアルな自分は、冷静に「へぇ~、きのう致した設定なんだ」と自分とSUGIZOのドラマを眺める。

 

しかし、そんな甘美な時間も束の間。

この先を曲がればSUGIZOの自宅、という曲がり角でなぜか急に不機嫌になるSUGI様。

 

なぜだ?そうだ、彼は神経質で繊細で気難しい。

わたしの回答の何が気に入らなかったのだろう?

それともさっき顔を近づけたとき、鼻くそとか歯に青のりとかついたのだろうか?

あー、それともさっき食ったフライドポテトの匂いで萎えたか?(リアルの日曜の昼、息子とケンタッキーとフライドポテトを食べた)

主人公の私はSUGIZOの謎の解明で頭いっぱい。

彼女は彼の機嫌がなおるまで、追わずに待って居ようと思うのだ。

そしてご機嫌ななめなSUGI様に手を振り見送ったあと、

誰かの家の塀にもたれかかり座り込む。

 

夢という名のドラマを見ているリアルな自分は冷静にこう思う。

「あー、あるある!こんなシチュエーション。

確かに私は幸せいっぱいな恋愛より、

切なく実らないバッドエンドの恋愛に自ら仕向ける節がある。

恋愛は不幸せなくらいが魅力的だと思ってしまう、根っからの恋愛不幸体質だしな。」

 

そのままその場で眠ってしまう主人公の自分、

誰かに声をかけられ目を覚ますと心配そうに見つめる高齢男性。

あぁ、もう朝か…朝になっちゃったよ…SUGIちゃん。

 

 

 

 

 

 

5:45、Apple Watchがなっている。

もう月曜の朝だ。起きる時間だ。まずはさっきの夢を反芻しようではないか!

 

月曜の憂鬱のなか目覚めたリアルな自分は、

あ~、月曜か。お弁当なに作ろう?

SUGIちゃん、久々現れたな。

きのう買い物したお肉たち、全部冷凍しちゃったから解凍すんの面倒だな。なに買ったっけ?

SUGIちゃん、なんで不機嫌になったんだろう。

あ、この前みた細切れ肉のおかず、作ってみよう。

SUGIZOと致した設定の痕跡はどこだ?

あー、今日は10時から会議だ。早めに出勤して準備しとこ。

SUGIZOと致したのも夢に見てた?いや、みてない。

まぁでも、SUGIちゃんって外国人好きで、プロポーションも顔も完璧じゃなきゃ無理なのに、ありえないわな。

さ、ぼちぼち起きますか。。。

 

と、寝ぐせでメドゥーサのような頭で、

寝る前に飲んだ水でおしっこ溜まってるし、

口呼吸とイビキで声もカスカス、目も半開きでフラフラしながらトイレに向かう自分。

 

不覚にも、夢と現実のギャップの大きさというか、

それ以前に身の程知らずの夢をみた恥ずかしい自分に、

中学生のときみたいな夢物語をみている38歳の自分に、

思わず便器のうえで「ははっ…」と笑ってしまった。

 

だる。