アイルランド占領 | よくわかりたい歴史
 イングランドの目が本格的にアイルランドに向かうのは、エリザベス一世の時代です。
 メアリ・ステュワートを処刑した後、エリザベス一世は後継者としてメアリの息子であるスコットランド王ジェームズを指名します。
 これによりイングランドとスコットランドは、一応の和平状態となります。今までのいきさつや諸侯同士のシコリなどはいくらでも残っていましたが、国と国とをあげて全面的にぶつかる必要性は薄くなりました。エリザベス一世亡き後は、同じ王を頂く国同士となるからです。
 これでジェームズがエリザベス一世よりも先に亡くなる、などという事になれば、再びイングランドによるスコットランド侵略がはじまり、スコットランドはフランスに助力を頼み、という今までのパターンに逆戻りしていたかもしれませんが、史実はそうはなりませんでした。

 スコットランド問題が当分放置可能という事になれば、次はアイルランドです。
 という事で、イングランドによるアイルランド殖民、言い換えれば侵略が本格的にはじまったのが、エリザベス一世の時代です。
 この頃は、カトリックであるスペインとの戦争状態にあったため、同じくカトリックであるアイルランドが真横にいる事は、イングランドにとって死活問題でもありました。
 冷戦時代にアメリカの喉元にキューバがあるようなものですね。
 スペインをアルマダの海戦で破って以後、イングランドは腰を据えてアイルランド殖民に乗り出します。そして、ジェームズ一世の時代には、アイルランド全域にイングランド人の殖民が及ぶようになります。とは言っても、東部の一部地域を除いては、支配していたと言えるほどではなく、せいぜい共存していた程度でした。
 イングランド側から見ると、人口において圧倒的に勝る優位を利用して、実質的に土地をのっとってしまおうというのは、有効な策です。戦争に訴えれば、フランスやスペインなどの介入を招く結果にもなりかねません。

 しかし、そのイングランドの優位は、スコットランドとの戦争に敗れた事で大きく揺らぎます。
 アイルランド諸侯はイングランド組し易しと侮り、そういった雰囲気が蔓延した結果、イングランド殖民が虐殺されるという事件が起こります。
 これをきっかけに、アイルランド・カトリック同盟が成立する事になり、アイルランドはイングランドとの全面衝突の道に踏み込んでいく事になります。

 アイルランドの多くの諸侯たちは、イングランドとの全面衝突を望んでいませんでした。
 今までも、名目上は「ロード・オブ・アルランド」だの「アイルランド王」だのと、イングランド王が名乗るのを許していましたし、実際に全面戦争になれば勝てるわけもありません。よしんば勝てたとしても、自分たちの蒙る被害も甚大なものになるでしょう。
 イングランドの緩やかな支配が、厳しいもにならなければよかったわけです。
 エリザベス一世はそのあたりを見抜いていたため、戦争や侵略ではなく殖民という手段ととったのだと思います。彼らの反発を買わないようにゆっくりと骨抜きにしていくには、殖民という手段は非常に有効だったと思います。現代でいえば、文化侵略に近いものがありますね。
 そして、偉大な女王が定めた道筋を、ステュワート朝の王たちもたどるように殖民政策を進めていきました。
 そのままいっていれば、アイルランドがイングランドに完全に同化吸収されるのも時間の問題だったでしょう。そうなれば、現代にも尾を引く、アイルランド独立問題は、もっと緩和されて、スコットランドの独立運動の方がよほど重要案件になっていたかもしれません。

 しかし、それでもイングランドとの全面対決になってしまったのには2つの理由がありました。
 ひとつは絶対王政の信奉者であるチャールズ一世が、彼の主観でいう反逆者たちに対して一切の妥協をしなかった事によります。
 もうひとつは、ローマやスペインから支援者たちがやって来て、イニシアチブを握ってしまった事です。カトリックの擁護者を自負する彼らは、プロテスタントに対して一切妥協する気はなく、それどころかアイルランドをカトリックとプロテスタントの代理戦争の場のひとつにしてしまったのです。

 そうこうするうちに、イングランドでは王チャールズ一世を議会が追放し、内戦に突入してしまいます。対スコットランド、対アイルランドとの戦争が続き、戦費をまかないきれなくなった王が議会を召集し、議会は王と全面対決の姿勢を見せた事がきっかけです。
 結果として、アイルランドは、イングランドとの戦争に勝利し、カトリックの島となります。

 1649年、内戦に勝利しイングランドを掌握した議会派は、内外のカトリック勢力の駆逐に手をつけはじめます。その過程で行われたのが、アイルランド遠征です。この時のイングランドの指導者は、護国卿オリバー・クロムウェル。
 妥協を知らぬ彼の戦略は、アイルランドの徹底的な壊滅であり、多くのカトリックが虐殺され、エリザベス一世が目指した方向とは真逆の形で、アイルランドはイングランドの支配下に入る事になります。
 幾多もの大量虐殺はアイルランド人の記憶に刻み込まれる事となり、アイルランドがイングランドに同化する事を現代に至るまで徹底的に拒む根源理由となってしまいました。