デーン人のイングランド | よくわかりたい歴史
 10世紀から11世紀は、ヴァイキングが南に西にと拡張し、歴史の主役に踊り出た時代です。ヴァイキングはアメリカ大陸まで到達し、そこをヴィンランドと名づけました。

 この時代にヴァイキングがもっとも活発に活動し、それにゲルマン人が抵抗したのが、イングランドとフランス北部沿岸です。デンマークに居留地を持っていたデーン人バイキングが、その主人公です。
 デンマーク王国は、ヴァイキングたちの中心地であり、このデンマーク王に臣従するものはみな、デーン人と呼ばれており、決して、民族名や氏族名ではありません。

 デーン人はフランス北部のセーヌ川の河口付近を占領すると、そこを拠点にフランスとイングランドに略奪を繰り返します。
 七王国時代末期の850年頃からノルマン朝が成立し現在に繋がるイングランド王国が成立する1100年頃までのイングランドは、アングロ・サクソンとヴァイキングとの戦いの歴史とも言えます。今も残る「デーンロウ」は、この時代のデーン人占領地の名残です。
 イングランド東部のデーンロウは、いまだにアングロ・サクソンとは異なる慣習や方言が残されています。

 イングランドの群雄割拠の時代は、ウェセックス王アルフレッドによる、統一の時代へと向かっていました。しかし、ちょうど、アングロ・サクソン同士の争いが収束に向かおうとしているこの時期に、デーン人による侵入がはじまります。
 アルフレッド大王は886年、デーン人に占領されていたロンドンを奪還すると、その後の戦いも優位に進め、デーンローと呼ばれる地域を除く、全イングランドを統一します。
 しかし、アングロ・サクソンによるイングランド統治は長くはもちません。ノルマンディー公国のデーン人であるノルマン人が侵入してくるようになったからです。

 ノルマンディー公国は、現在のフランス北部、イングランドとドーヴァー海峡を挟んですぐの地域で、911年、デーン人の首長ロロが制圧し、西フランク王に自らをノルマンディー公と認めさせた上で作った国です。
 ノルマンディーと言えば、カマンベール地方などのチーズの産地として有名で、他にもリンゴや魚介類が美味しい土地です。1944年6月6日に決行されたオーバーロード作戦によるノルマンディ上陸でも有名ですね。前者は、ヴァイキングの風習の影響が強いですし、後者は、イングランドにドーヴァーを挟んで面した土地で、上陸作戦のポイントとしては最適だったからでしょう。
 つまり、ノルマンディー公国は、イングランドに侵入するのにも最適な土地なのです。
 フランスには西フランク王国があり、事実上の独立国とはいえ、建前上、ノルマンディー公は西フランク王国(後のフランス王国)の臣下です。しかし、イングランドには強大な王権もなく、アングロ・サクソンたちが群雄割拠している状態です。
 ノルマンディ公国のデーン人(ノルマン人)は、イングランドにしばしば侵入し、アングロ・サクソンとの戦いを繰り返します。

 その後、デンマーク王スヴェン一世ハラルドソン(ノルウェー王兼任)は1013年にイングランドの征服に成功し、イングランド王となっています。が、その直後に戦死。
 スヴェンの帝国は長子ハーラル二世にデンマーク、次男クヌーズにイングランドと分割相続されます。ノルウェーは属国状態から独立を回復し、オーラヴ二世が即位します。

 その後、ハーラルが在位4年で亡くなると、クヌーズがデンマーク・イングランドの王全てを兼任し、オーラヴ二世を撃破して再びノルウェーを征服、クヌーズ一世が大帝国の大王となります。これは北海帝国と呼ばれます。
 クヌーズは当初、イングランドを相続したとはいえ、被征服地となったばかりのイングランドでは、スヴェンの死と共にアングロサクソンの王であるエゼルレッド二世が即位しており、このエゼルレッドを倒してイングランドを掌中にするまでに4年の歳月を費やしています。そして、イングランドの再征服が完了したタイミングでの兄ハーラルの死である事から、暗殺説もあります。

 ヴァイキングの拡張が最大に達しようとした時代です。