三宮と元町を「神戸」と称するのが正しいのかどうか、
いまいち自信が持てない。
「三宮」「三ノ宮」どちらを使うべきなのかもよくわからない。
どうやら三宮も元町も神戸市だから、神戸と呼ぶには問題ないと思う。
僕は南大阪で育った人間だから、
「神戸」という街は野蛮な大阪とは違うオシャレな街なのだ
という印象が刷り込まれている。
実際に、神戸を訪れるたびそう感じる。
そしてどう転んでも野暮ったい大阪も好きやなあと思う。
土曜の夜に神戸でライブがあり、朝の新幹線で出発した。
新大阪で乗り換えて新快速で元町へ。
やっぱ電車から三宮とかの街並を見るだけで、
うわー違う。って思う。
大阪人と思考が違うわ。
しゃれとんなー…ってまるでただの田舎もんやけど。
中華街(横浜と違ってかなり小さい。あのサイズ感も好き)で
ごまだんごと肉まんを食べて、
神戸っぽいものを探してるうちに、
神戸牛の店に入った。
本気の神戸牛を出している店がやってるランチだった。
ギターを担いで一人で入るような店じゃなかった。
「お味はいかがですか」
うめぇに決まってんだろ。てやんでぇ。
いつしか霜降りて油のカタマリやんと思うようになった。
赤身でええやんって。
オーストラリアで住み始めたときは
スーパーで売ってるのが真っ赤な肉ばっかりでちょっと嫌やったけど。
適当な公園(ルミナリエの広場)を見つけてちょっと練習をしてから、
適当なカフェにでも入って打ち合わせをする。
一人でやる打ち合わせは何と呼ぶのだろう。
適当なカフェ、つまりドトールとか、あるいはマクドとかが、
駅の近くにしかない。
ちょっと離れると、個人で経営している喫茶店しか見つからなかった。
まさか、かすれ始めたフェルトペンで雑音とにおいを放ちながら
今夜のセットリストとMCを推敲したいとは誰も思わないような場所だ。
かろうじてカフェドクリエがあったので入った。
行かない人には信じられないかもしれないけれど、
カフェは街の個人作業場として重要な役割を果たしているのだ。
となりには、
競馬新聞とにらめっこしているだけでなく対話をしている大柄なオヤジがいた。
小ぎれいな神戸だけど、この辺りには場外馬券場があるのだ。
ライブの会場は元町の高架下にあるプラネットEartHというお店。
カフェのような、ギャラリーのような、アーティスティックな空間。
去年集まったミュージシャンらと1年ぶりに再会し、
こちらは本当の打ち合わせをした。
このイベントは、
昨年の夏に亡くなったニシムラプリンさんの歌を歌ったり、彼女の話をしたりしようというものだ。
今年で2回目。
まだ店にはカフェ営業のお客さんがいたので、
演者7人でぞろぞろ公園に行って、最後にコラボする曲を練習。
みんな自分より大人なので1年ぶりでちょっと緊張したけど、
ライブが始まったら感覚を取り戻した。
今回に限らず、僕は本番が始まるまでの時間というのが苦手らしい。
なんかソワソワする。
1. ヤマザキ 踊るパン祭り
2. ビッラルさんのモジャカレー
3. 労働哀歌(ニシムラプリン)
4. イングランドの女
しんみりしてもあれかなと思っていつもの感じで演奏した。
「労働哀歌」は就活中によく聞いていた歌で、
僕が普段考えていることと重なるのですんなりと気持ちが入る。
働かないと生きては行けないけど、
みんながみんな働くことが得意ではない。
労働がもっとハッピーなものであればいいのにな。
彼女の歌はあるいは昭和の小説みたいで、
あとあとになって生活のふとした瞬間に
その言い回しが浮かんできたりする。
他のアーティストも、すごくよかった。
いや~最近は音楽そこまでやってないよ
とおっしゃる方が多かったが、味の濃い人生を送ってきた結果なのだろうか、
ものすごおく沁みました。
味の濃い人生とは言っても、波乱万丈なのがすごいとかじゃない。
たとえば凡庸な毎日であっても感じるべきものはたくさんある。
今年もこのイベントに来れてよかったです。
僕は参加するだけでしたが、企画してくださったみなさんにありがとう。
みんなに会えてよかった。
きっとプリンさんも元気でしょう。
元気とかじゃないんやけど。
全然まだどこかにいると思ってしまうから。
主催の磯島よしひろさんの「なんでやねん」は
うおー懐かしい! ってなりました。
磯島さん、プラネットEartHでオープンマイクをやってるらしいので、
タイミングが合ったら行きたいなあ。
神戸行きたいってなんとなく思うけどいつもきっかけがないからな。
元町高架通商店街、略してモトコー。
是非訪れてみて。