大阪で育ったので雪についてはよくわからない。
今日の朝は大雪だった。
目の前を白いふわふわしたものが埋め尽くすのは異様な光景だ。
雪など見慣れているという人は、
「雪ではない白いふわふわしたもの」が視界を埋め尽くすところを想像してみてほしい。
変だ。
こんなに一斉に雪が地面に向かって降りてきているのに物音ひとつしないなんて変だ。
今までこんな風に思ったことはなかったけれど。
いや、音はしているが聞こえないというのが正しいのだとは思う。
もし降るのが雨ならば、窓を閉めた部屋の中にいても「雨音」となって聞こえてくる。
雪なら「雪音」?
*
僕は20歳を過ぎても、「月明かり」はおとぎ話の世界にしかないものだと思っていた。
月の明かりになんて照らされたことがなかったから。
社会人2年目で、僕は一人暮らしを始め、川沿いの家に済み始めた。
家から歩いて5分くらいのところにだだっ広い河川敷があって、
堤防への階段を上って川が見える場所まで行くと、
向こう岸には市の中心地にある高層ビル群が見えた。
河川敷には街灯のようなものがないため、夜になると真っ暗で、
そこはほとんど人が近寄らない夜景スポットになっていた。
ある夏の夜、なんとなく家でいることがつまらなくなってしまい、
10時くらいにぼやっと河川敷に散歩に出かけた。
綺麗ともいえない赤紫がかった夜空には雲ひとつなく、
満月の前後2日のどちらかといった具合の月が
僕の真上からちょっと南東に下ったところに腰を据えていた。
僕は足元に影があることに気が付いた。
対岸の街の明かりが照らしたせいだと思ったが、そうではなかった。
短い影が、月があるちょうど反対側にうっすら見えた。
「月明かり?」
今考えてみると、月明かりを体験したのはそれっきりで、
そのあと積極的に月明かりを見に行くこともなかったし、
月明かりのことなどだいたいにおいて忘れて過ごした。
中学校の就学旅行のことを思い出すのと同じくらいの頻度で
ごくたまに思い出した。
「月影」という言葉には「月明かり」という意味もあるのだということを、
いつか教えてもらった。
*
太陽の光は何と言うのだろう?
「日光」?
なんだかおもしろくなさそうだ。
「日の光」としてみても、「月明かり」ほど詩的ではない。
太陽の光は月明かりよりも多く人が毎日のように体験しているのに、
意識されることがあまりない。
当たり前すぎて呼ばれることさえ少ない。
*
大雪の降る中、駅まで歩かなければならなかったので傘を差した。
すると、雪の音が聞こえた。
パカパカパカパカ。
それ、ちゃうねんなぁ。
そんなん雪の音ちゃうわ。
*
足元に月明かりの影を映し出すときのように、
「雪音」を聞こえるようにするには車の往来も人々の生活も川の流れもないようなところで、
息をひそめ、耳を澄ますのだ。
それでも聞こえるかどうかはわからない。
雪の音がたまに聞こえるというような国にはその音をさす言葉があって、
詩的な響きをもっているのだろう。
いつでも雪の音が聞こえるというような国では、
その音に名前はついているが当たり前すぎて誰も呼ばない。
もしくは「日光」のように実務的に響くのだろう。
*
仕事が終わって帰るころには道端の雪は大部分がとけてしまっていた。
朝の神秘的な光景が嘘みたいだった。
ふと、ゆきんこかぁ、と思った。
和風の妖怪ではなく、スノーフェアリーなイメージの。
嘘みたいだがこの寒い中一時間くらいかけて歩いて家に帰った。
嘘みたいにかわいらしいおばちゃんが接客してくれるつけ麺屋で、
「今日は寒いからね」って、それは嘘だろいつもやってるんじゃないのかみたいなサービスをしてくれた。
次回から使えるという、味付け玉子(100円)のサービス券をもらった。
5枚集めるとなんと「トッピング盛り(300円)」と交換できるそうだ。
嘘だと言ってくれよ。