◆ 人はなぜゲームをするのか | ゲームデザインエクセレント

◆ 人はなぜゲームをするのか

 "耳にタコができる"なんて慣用句がありますが、指にできるタコは現実の苦痛です。にもかかわらず、時として慣用句と同じような人生上の教訓をもたらしてくれます。
  かつて「ファミコンだこ」というものがありました。ファミコンのコントローラは、左側の十字キーで方向を入れますが、これに対応して親指の先がどんどん分厚くなってしまうのです。十字キーの真ん中には直径5ミリ程度のへこみがあり、ちょうどここだけ強く圧迫されて、最初はマメができます。痛いのを我慢して続けていると、立派なファミコンだこに成長するというわけです。
  上手いゲーマーは余計な力など入れないので、こんなものをくっつけてるのは、下手なくせにはまりこんでいるプレイヤーだけです。私もその口でした。指だけではなく、親指の付け根の腱まで激しい痛みに悩まされ、それでもやめられませんでした。我慢しつつゲームを続けていたのですが、時折我に返っては思ったものです。......"オレ、なんでこんなことをしてるんだろう"。


 さて、今回のテーマは「ゲームデザインの理論」です。といっても、そんなに高度な話をするわけではありません。昔からプレイヤーとして感じていた疑問=「なんでゲームは面白いのだろうか」について、関係するいろいろな説を紹介しながら、考えをあれこれと巡らしてみるだけです。
  実際、ゲームというものは、少なからぬ中毒性がありますね。私にとっては"ファミコンだこ"がそれを象徴する出来事だったわけですが、人それぞれに類した経験はあると思います。試験や課題の提出日が近づいているなどでもやめられなかったりとか。でも、学生ばかりの問題ではありません。80年代冒頭に"インベーダーブーム"というものがあったのですが、立派な社会人が喫茶店のテーブル筐体に百円玉を山積みにして、取り憑かれたようにプレイし続けている姿がよく見られたものです。ネットが発達した今の時代だと、破滅的にゲームを続ける人というのは、むしろ深刻化しているかもしれません。
  そうまで熱中してしまうほどの面白さは、なぜもたらされているのでしょうか。


 今回から第三部になります。これまでのパートに名前を付ければ、「第1部:導入編」「第2部:実践編」となるでしょうか。
  実はそれらの内容も、元々は私自身の疑問から始まっています。ゲームデザインとは何か、どんな仕事なのか、どうすればいいのか......そんな疑問を持ちながら、ゲーム屋への道を歩んできたのです。それらの疑問は実際の仕事を通じて解けたわけですが、「なぜ面白いのか」という面だけは、相変わらず謎として残っています。まとめに入っていく今回は、その謎へのアプローチです。
  明解な答えは出しづらいものですが、進めてみたいと思います。