【注釈】 | ゲームデザインエクセレント

【注釈】

*1 :ホモ・ルーデンス
 ホイジンガの著作『ホモ・ルーデンス』は、本国での刊行は1938年ですが、日本での翻訳版は、1965年に中公新書から発売されました。
  65年というのは、高度成長期まっさかりの頃で、「これからの時代、日本人はもっと余暇を持たなければならない」と官民あげての大号令がだされ、一気にレジャーブームが起こった時期でもあります。本書がたちまち普及したのも、そういう時代の空気あってなわけですが、そもそも遊ぶのにも号令が必要だったというあたりに、濃厚な時代の空気を感じてしまいますね。


*2 :GUIを本格的に取り入れたパソコン・・・
 GUIことグラフィカル・ユーザーインターフェイスは、その名称から「コマンド類を絵的な方法に置き換えたもの」と早合点されがちですが、真の狙いは「素人が直感的な操作で理解できる」にあり、グラフィカルであることは単なる手段です。コマンド名称やその操作方法は、単純なものとはいえ恣意的で、類推で理解していくことはできません。それをグラフィカルに表現することで、「こうかもしれない」と気づかせ、実際の操作でそれを覚えさせるという、「さぐり→仮説」モデルに基づく学習を意図しているのです。
  なお、冒頭の単文は、かなり中略した状態で引用しています。該当部分を省略せずに書くと、次のようになります。


  Apple Desktop Unterfaceは、人間が生まれながらにして好奇心を持った存在であるということを前提としています。好奇心は学習への欲求と言い替えることができますが、学習効果は自分のおかれている環境に自発的な探究心を持って接した場合に最も高くなると言えます。人間は自分を取り巻く環境をコントロールしたいと言う欲求を持っています。これには、自分の行為に対して掌握感を持とうとすること、そして、その結果を確認し、理解しようとする欲求が含まれます。また、意志の疎通には、言語をはじめ視覚や身振りによる伝達手段が用いられているように、人間は記号や抽象表現に慣れ親しんでいます。そして、条件が揃えば創造的で芸術的な存在ともなり得ます。作業や生活の場がエンジョイでき、やりがいに満ちたものであれば、生産性や効率は非常に高くなります。

  Macが登場して以来、各社からGUIと環境がリリースされましたが、ほとんどが肝心な点を理解しないまま見た目ばかりをそれっぽくしたものばかりで、さっぱり使い物になりませんでした。マウスオペレーションでありながらキーボードも不可欠という、"手が三本いる"意味不明なOSも多く、使い物になるGUIは結局Macだけという状況は、Windows3.0が登場するまで(=それが画期的だったほどに、他の"もどき"は酷かったのです)続きました。



*3 既知のベクトルの縮小版を集めただけ・・・
 スーパーファミコンの頃、「ステージクリア型の横スクロールアクションゲームと、『ポピュラス』的な箱庭シミュレーションを"融合"させた」と称するゲームがありました。アクションのステージでボス戦闘を終えると、シミュレーションモードが出現するというもので、ステージクリアで得られるポイントを使って都市育成を行うという趣向でした。
  その頃、従来のジャンルには当てはまらない創発的なゲームが注目されていました。このゲームも、おそらく企画書の段階では、伝統的なプレイアビリティと先進のゲーム性が融合した画期的な作品になるはずだったのでしょう。しかし実際のそれは、「2で割ってから足す」の典型例で、中途半端なアクションとシミュレーションがぶつぎれで繋がっているだけという、残念な代物でした。
  そもそも「アクションゲームの得意な人でないと有利に展開できないシミュレーションゲーム」というのは、両ジャンルのプレイヤー層の違いを考えれば、かなりの無理があるといえます。実務では、いろいろな理由から妥協が必要になってきますが、肝心な部分は守っていかないといけません。