◆ストーリーの基本原理 | ゲームデザインエクセレント

◆ストーリーの基本原理

では、ストーリーフローは、どう作ればいいのでしょうか。
  どうもこうもありません。「作る」こと、それが全ての始まりです。「創作理論」と称するものを主張する人もいますが、ストーリーには方程式の類はありません。理論とやらのほとんどは作家ではなく評論家や学者がまとめたもので、実際にはできあがったものに対する後知恵に過ぎないのです。


  むろん、よくないストーリーに対し、「なぜよくないのか」の理由を羅列することはできます。そのいくつかを裏返せば、定石みたいなものもまとめられるでしょう。しかし、そうした教訓を集めたところで、創作に結びつく建設的な理論にはなってくれません。ストーリーは多様なもので、面白いか面白くないかは相互関係によっていくらでも変わってきてしまうからです。ある作品においては美点だったものが、別の作品に投入すれば欠点になってしまうということが、たいへん多いのです。


 ただ、だからといって「何でもあり」というわけではないのは、先に挙げた程度の創作体験があればわかることでしょう。依拠すべき、そして拘束もされる、基本原理と呼べるものがあります。次の2つです。


   1:場面場面が面白くなければならない。
   2:読者(観客/視聴者/プレイヤー)は必ず飽きるから、
     対策を講じておく必要がある。


 1の条件が満たされていれば、とりあえずは受け入れてもらえます。そして「続きを見たい」という気持ちになってもらえます。一方、これがないと、何も始まりません。まさにストーリーの第一原理です。
  ただ、人には「飽きる」という基本属性がありますから、どんなに面白いものでも、それが続いているといずれ飽きてしまいます。そこで、何らかの対策を講じておかなければなりません。物語の展開というのは、そのためにあります。そして、同じパターンばかりが続くとそれはそれで飽きてしまうため、展開を展開させる"メタ展開"も必要になるでしょう。また「実はこうだったんだ」のようなサプライズも織り交ぜる必要があります。そうしたものが集まったときに相互に矛盾してしまうようでは、読者がしらけてしまいますから、設定を体系として構築することも必要になってきます。こちらは第二原理ですが、かなり発展性がありますね。


 多くの理論先行型ストーリーテラーが陥ってしまうのは、1よりも2を重視することです。場面の面白さに配慮しないまま、物語の構成や設定といったものをどんどん進めていってしまうのです。甚だしい場合は、本来"飽き対策"の一手法に過ぎない「世界観」を、物語自体の目的であるかのように思いこんでしまいます。
  これは、読者としての感動体験が脚を引っ張っているのかも知れません。しかし、世界観、構成、テーマといったものは、見てもらったその先にあります。例えそれらが優秀であっても、場面が面白くない作品は、そこまで進まないうちに放棄されてしまうのです。自分が読者として感じた面白さがそこだったとしても、それは「読み終わっての感想」ですね。作者は、読んでいる最中の読者に対して面白さを提供し続ける必要があります。