◆ ストーリーフローのあるゲーム | ゲームデザインエクセレント

◆ ストーリーフローのあるゲーム

 以上のようないきさつは「象徴としてのストーリーの導入」ということができるでしょう。
  ただ、こんにち言うような「ストーリーゲーム」との間には、まだまだ決定的な違いがあります。ステージはあっても、ただひたすら繰り返すだけという場合が多いのです。例えば『ドンキーコング』。スロープの面があり、ベルトコンベア、ジャッキと続いた後、最終面となって、コングと対決します。では、それをクリアしたら? 何もなかったかのように最初のスロープ面に戻ります。
  その時代のゲームはだいたいそんなもので、僅かな数の面を多少難易度を上げながらループし続けるのが当たり前でした。少し時代が下がる『ゼビウス』になると、物語構成的な変化もないわけではなく、最終ボスとされる存在が要所要所に出てきたりもするのですが、これは決して倒すことはできず、永久に逃げ続けます。そして、16面が終わると、また1面に戻ります。
  一方、同じ黎明期でも、パソコンゲームでは全く別の事情が存在しました。「アドベンチャーゲーム」という、まさにストーリーフローそのものを楽しむタイプのゲームが、普及していたのです。
  これは、当時のパソコンの性能に由来しています。パソコンゲームにおいても、初期の主流はやはり反射神経型ゲームだったのですが、リアルタイムの描画性能が高くなかったため、性能的にどんどん向上していくアーケードに比べ、見劣りするものにしかなりませんでした。一方で、メディア容量の制約の少なさやテキストの処理が得意など、アドベンチャーゲームにおいては逆に見栄えの良い商品を作ることができました。結果として、パソコンゲーム市場は後者を中心としたものになっていったのです。

 やがてゲームは今日あるような方向に進んでいくのですが、「二者が融合した」というよりは、動作環境の向上などがもたらした必然的変化といえそうです。コンシューマは、かつてはアーケードに沿ったゲーム性が主流でしたが、しだいにやり込み要素を重視するようになりました。やがてストーリーフローを持つものが増え、『ドラゴンクエスト』を嚆矢とするRPGのブレイクで決定的になりました。以後、マシンの性能向上は、主にストーリーメディアとしての側面で用いられるようになったのです。
  ただ、一色に染まったというわけではありません。例えば格闘ゲームにストーリー展開があっても、それはゲームの中心的価値ではなく、位置づけは『ドンキーコング』の頃とそう違うわけではありません。
  類型化すれば、次のようにまとめられるでしょう。


  1「記号型」:ストーリーはなく、デザイン上の見立てとして
          モチーフが設定されている。
   2「象徴型」:作品性に深みを与える目的で、
          象徴的な扱いのストーリーが与えられている。
   3「進行型」:ストーリーフローがあり、
          それを進行させる形でゲームプレイを行う。
   4「展開型」:多様性のあるストーリーフローが用意、
          プレイヤーの行動で選ばれていく

 

 ストーリーを作るということも、2までであれば、借り物でもなんとかなります。現に『ドンキーコング』のストーリーは、映画『キングコング』から借りてきたといっていい程度のものでした。しかし、3以上のレベルではストーリーフローを作っていく必要があり、「創作技法」として意識していかなければなりません。