◆ソフトウェアと美 | ゲームデザインエクセレント

◆ソフトウェアと美

 さて、ソフトウェアのデザインですが、ここまでの説明とはまた異なる側面で、追求すべきことがあります。「美」です。
  もちろんユーザーインターフェイス(の、特に画面)では、美しさは重要です。汚い画面のゲームはプレイする気が起きませんし(品質自体が低いように感じられてしまいます)、その美しさも作品性にふさわしいもの(=雰囲気を盛り上げるということですね)でなければだめでしょう。しかし、ここでいう美しさは、その意味ではありません。
  本シリーズの第1章では、機能と美という二面を示した上で、見えるものと見えないものとがあることを論じました。これはデザイン一般の価値観です。元来デザインの美というものは、見えない部分にも及ぶのです。
  例えば建築ファンが何かの建築物をすばらしいと思うとき、その外観だけに惹かれているわけではありません。ニューヨークにかつてあったワールドトレードセンター・ツインタワーは、外観的にはただの四角い柱です。それが高い評価を集めたのは、内部構造とそれを導入させたコンセプト、さらには裏付けとなる哲学の部分にあります。《*3》


 実は「美しい」は、ソフトウェア関係者......特にプログラマにとって、重要な判断基準です。プログラムは、直接的にはコードとして表現されます。その背景にはアルゴリズムがあり データ構造があります。またターゲット機のアーキテクチャによって導かれます。これらは工学的な仕組みですが、同時に、美が宿るものなのです。《*4》
  このような価値基準は、70年代あたりから始まっています。高級言語が使われるようになった結果、プログラムは言語的な創作物であると認識されるようになりました。そして、「美しく書かれたプログラミング」ということが、重視されるようになったのです。
  そもそもは、実用性から来ています。可読性の高いソースは、工業としての生産性を高めるからです。そして、直接のソースだけではなく、システム自体のアーキテクチャといった部分も同様です。洗練されたアーキテクチャは、何よりも理解しやすく、使いやすいのです。これが積み重なっていくことで、次第に価値基準として独立し、感覚としての"美しい"が確立されていったのだと考えられます。


 このあたり、実例から離れて論じることは難しく、取り組んだ経験がない人を説得する自身はありません。ただひとつ指摘できることがあります。私たちは、数学的な調和に対し、美しさを感じるということです。
  対称性のあるもの。リズムを持つもの。構造化されたもの。そして論理的なもの。それらは、そうでないものと比べた場合、あきらかに美を感じさせます。実用性ばかりではなく、審美性においても、私たちは対称な配置を好むのです。こうした美はあくまでもその関係性自体に感じている美で、形そのものへの美観とは異なります。
  初学者には実感が持てないかも知れません。しかし、この美意識の存在は、とりあえず信じてください。


 ゲームデザイナーは、ソースコードの美までは共有することはありません。しかし、システムそのものの美しさには、直接の責任を負う立場です。こうした価値観およびそれが存在する理由について理解し、自分自身の持ち物の一つとしている必要があるでしょう。