◆ 企画におけるビジュアル | ゲームデザインエクセレント

◆ 企画におけるビジュアル

 まず話の取りかかりとして、企画職にとっての「グラフィック力」――絵や図を描いたり、文書や画面をレイアウトしたり配色を決めたりと言った能力――の位置づけを確認してみましょう。
  不要か必要かと言えば、一応必要です。しかし、重要かどうかといえば、実はそれほど重要ではありません。


 第5回「ゲームデザイナーの条件」では、「図を描ける」「レイアウトができる」を、会話や文章と同レベルの基本的スキルとしてあげています。
  これはこれで、大事なことです。
  言葉だけでは伝えにくいことを伝達するためには、図が必要になります。
  文書にとって「読みやすい」の重要性は言うまでもないでしょう。文章そのものが解りやすく書かれていなければなりませんが、それをまとめた文書の方においても、魅力的に見せる工夫が必要です。
  そして、企画書では、具体的な画面の案を示す必要があります。
  ただ、これらはプレイヤーに見せるものではなく、制作者側で内部的に利用されるだけです。ゆえに、絵としての魅力は、必要はありません。重要なのは、「読みやすい」「解りやすい」なのです。
  魅力ある絵を作るためには、ひらめきなど、勉強だけでは届かない部分が重要になります。ところが、読みやすさ・解りやすさを目的とする場合は違います。この要素は、相当部分が研究済みなのです。知識として確立された「読みやすい/解りやすい」があるわけで、企画屋であれば、これをきっちり学ぶことで到達できるレベルの画力があれば十分だと言えるでしょう。
  これはいわば"楷書のデザイン"です。面白みには欠け、ユニークさも出しづらいのですが、基本中の基本です。グラフィックデザイン自体を仕事にしている人なら"草書のデザイン"もできなければなりませんが、企画屋は基本を押さえていれば十分なのです。


 では、ゲーム本体で使うグラフィックスについては、完全に専門職に任せきってしまっていいのでしょうか。
  このあたりは性格にもよるのでしょうが、私としては自分が全く知らないことを他人に預けてしまうのは嫌です。「できるけど今イチ」「できないけど解っている」であれば委ねても問題ないのですが、知らないままというのは、気持ち悪くて嫌なのです。実際、企画屋は、上がってきた原型のいい悪いを判断しなければならないことが、しばしば発生します。全く解らないのだとしたら、イエスかノーで答えるしかありません。しかし現実の仕事では、共同作業で着地点を探っていかなければならないことが大半です。
  この種の気持ち悪さを感じそうなら、ちゃんと勉強した方がいいですし、それには自分が作者として取り組んでみるのがいちばんだと思います。例えば「ゲームデザイン学科」において、選択科目としてCGの科目が存在するのは十分に意義のあることでしょう。


 とはいえ、実は"デザイナー的な"において重要なことは、こうした部分ではありません。「ゲーム画面を作る」ということは、実際には単に「絵を作る」こととは異なる次元の問題を含んでいるからです。