◆ 「飽食の時代」の料理人 | ゲームデザインエクセレント

◆ 「飽食の時代」の料理人

 私がゲームの仕事に入ったのは90年代の初めです。その頃にはゲーム産業もすっかり産業らしい体裁を持っていました。しかし、人材的には、それ以前の世代の人がいっぱい残っていたのも事実です。


  「昔は良かったよなー。
    2・3ヶ月かそこらでゲーム作れてさ、
    グラフィックスもそれっぽく描けてりゃOKだったし、
    サウンドなんて、ビープ音だったしさ。
    ステージだって、同じのがずっと繰り返しで良かったんだ。
    それから、売れたんだよな。十万本なんてざらで、
    鼻クソみたいなゲームでも出せばとりあえず2・3万は売れたしさ」


 どんな分野でも、成長期には入れ食い状態があるものです。自分自身の経験としても、初めてアーケードのゲームに熱中した頃は、今思えばゴミのようなタイトルに、毎日何枚も百円玉をつぎ込んでいました。当時としては「テレビ画面を自分で操作できる」というだけで、十分楽しめたのです。そして、私の技術では、せいぜい数分やればゲームオーバーだったため、ステージの変化の乏しさも全然気になりませんでした。
  ただ、安定期に入ると、事情が違ってきます。優秀なゲームの登場によって(私の場合は『ゼビウス』との出会いが大きかったのですが)、スタンダードが引き上げられてしまうのです。その意味で、こうした先輩たちのぼやきは「あー、オレたち仕事しなくちゃいけないんだよなー」なんて言ってることに他なりません。正直あきれて聞いていたものですが、たぶん2000年代初めに業界に入った人も、私たちの世代のぼやきに同じ印象を持ったのかも知れませんね。というのも、90年代もまた、それ以降の時代に比べれば、入れ食い的お気楽さを持った時代だったからです。


  マシンの性能はまだまだ右肩上がりで、それについて行けさえすれば、最新のゲームを名乗ることができました。そして、顧客層の感心を、簡単に手にすることができたのです。それが長く続いた結果、そうしたことが、あたかも「これとこれを押さえておきゃ、客は買う」という決めパターンとして、確立してしまったのです。
  しかし、現代はもうそういう時代ではありません。今、ゲームプレイヤーの中心を占める中高生は、生まれたときにはもうプレステがあった世代なのです。「基本3Dで、イベントの時だけキャラ絵出してアニメ声優の声あてときゃ売れるって!」の類が通用するはずもありません。むしろ、アニメやライトノベルなど他のエンターテインメントメディアと比較され、同じ基準で取捨選択されてしまうことを、覚悟しなければならないでしょう。

 古いゲームと接するとき、思いもよらない面白さを見つけることがあります。
  もちろん、ゲームの黎明期を体験的に知っている世代に属する私としては、ノスタルジーの要素を完全に抜き去ることは難しいかもしれません。しかし、それでも時代を超越した面白さを感じることがあります。そうしたゲームをじっくり考えてみると、良質のボードゲームと同じような洗練さがあることに気づきます。それは、いたずらにメディアリッチな作品ばかりを志向してしまいがちな現在のゲーム屋に対して、大きな示唆を与えてくれるものだといえるでしょう。


  "遊ぶ"のアーキテクトとして、最適化された面白さを追求していきたいものと思います。