◆コンピュータゲームへの導入 | ゲームデザインエクセレント

◆コンピュータゲームへの導入

 70年代、ボードゲームは、おもちゃ売り場でかなりの存在感を持っていました。例えば『人生ゲーム』では、こんなコピーのCMが繰り返し流されていました。今なら流行語大賞の候補になるぐらいに、はやったものです。


  「ここが人生の分かれ道。億万長者になるか、貧乏農場に行くか」


 玩具メーカーというのは決して大企業ではないのですが、商品の性質上、ゴールデンタイムのCM枠で活発に広告を流すことになります。マニアのものとして始まったコンピュータゲームですが、やがて玩具業界の手に委ねられると、瞬く間にメジャーなエンターテインメントになっていきました。こうした業界が手がけたからこそでしょう。
  とはいえ、コンピュータゲームは、これらボードゲームを電子化するところから始まったわけではありません。「ゲームセンターのゲームが、自宅でも遊べる」が、商品コンセプトだったのです。必然的に反射神経志向で、それはコンシューマオリジナルの時代になっても続きました。深いゲーム性が求められるようになったのは、ブームが沈静化し、次の段階へ進んでからです。


 ただ、その場合も、ボードゲームがそのままソフトウェアになった訳ではありません。ボードゲームが行っていたような"遊ぶ"ためのモデル化――対象を大胆にデフォルメし、遊んで楽しめるレベルまで抽象化するなど――を、取り入れていったのです。
  そこには、コンピュータならではの特徴をどう生かすかという課題があります。
  ソフトウェア化された場合の最大の利点は、「一人でも遊べる」ということでしょう。そしてもう一つ、「プレイヤーがルールを覚えていなくても良い」というものがあります。ボードゲームのルールは必ずしも単純明快ではありませんが、理解している人間が集まらないと、プレイが始められません。しかしコンピュータゲームでは、そういう問題はありません。適切にデザインされていることが条件ですが、ソフトウェアにルールを組み込んでおくことができるため、深く知っていなくてもプレイし始められるのです。
  このアドバンテージは、その分プレイの敷居を下げることにも使えます。でも、逆にルールの方を複雑にすることもできますね。
  例えば、『モノポリー』では26しかない土地・会社を数百に増やすとか、権利金の額が市場で変動するとか。単に独占するだけではだめで、広告費をかけないといけないとか。あるいは、ノンプレイヤーキャラを並行して動かし、利益は彼らがもたらしてくれるとか。「仁義なき独占資本主義の闘い」をゲーム化するのなら、この方がより正統でしょう。ボードゲームとしては、複雑すぎてとてもプレイできたものではありませんが、ソフトウェアなら簡単です。