◆ 様式=お約束 | ゲームデザインエクセレント

◆ 様式=お約束

  先述の"様式"という言葉ですが、ゲームではむしろ「お約束」と言った方が解りやすいかもしれません。
  例えば、RPG。狭いはずのダンジョンなのに、1区画だけで何匹ものドラゴンが住んでいます。魔法使いが唱えた呪文は敵だけを焼き払います。そして、どんなに激しい攻撃を加えても、金や宝箱には何のダメージもなく(そもそもモンスターがなぜ持っているのかはともかく)手に入れることができます。フルプレートの重装備でも移動能力には全く影響がなかったり、瀕死の状態でも最高能力で戦闘できたり。冷静に考えると、かなり不条理な世界ですが、特に疑問を感じることなく受け入れていますね。
  これらはゲーム性の本体部分ですが、ユーザーインターフェイスにもお約束は支配しています。近年のRPGに多いスタイルは、3Dで描かれたフィールド+マイキャラの画面の上に、2Dのキャラ絵とテキストウィンドウをオーバーラップする(&声優によるボイスも)というもの。このとき、キャラクターが戦闘中だろうがどんなダメージを受けていようが表示されるキャラ絵に違いがなかったり、同じ決めゼリフを戦闘ごとに聞かされたり、また数人組で歩いているはずなのに画面にはひとりしか表示されなかったりと、さまざまな"納得ずくの不条理"が登場してきます。
  以上、RPGを例にとりましたが、異なるジャンルでも同じです。アクションゲームとはこういうものだ、シューティングゲームとはこういうものだ......そんな感じで、一つ一つの要素がなぜそこにあるのか考えられたわけではなく、「だってゲームってこういうものでしょ?」と前例を踏襲するように受け継がれているのです。まさに様式化しているわけです。


 実はここに挙げたようなRPGのお約束は、昔のマシンの性能限界から来ています。
  これらのゲームが確立したのは、ファミコンの時代です。ゲームに特化した機能が実装された優秀なハードでしたが、しょせんは8ビット機で、できることは限られています。三次元で表示したくとも、どうにもならないのです。そこで、代替手段として、アニメや漫画には観られない独特の表現技法が発展してきました。
  以後、スーパーファミコンになり、さらにPCエンジンなどCD-ROMドライブ装備のマシンへと移る中、できることも少しずつ広がっていきました。ただ、劇的な変化ではなかったため、新機能の実装も、従来の様式に新要素を上乗せするような形となりました。バストショット絵やボイスなどがその典型例です。
  現在は、3Dゲーム機の時代です。また、メモリーも外部記憶メディアも格段に大きくなっています。技術的な制約はとっくにぬぐい去られていますが、いちど確立してしまった様式は簡単には消え去ってくれません。フィールドはスプライトからポリゴンキャラに変わったものの、バストショットやボイス&テキストは相変わらずオーバーラップされる、そんなインターフェイスがまかり通っています。確立されてしまった様式が、ずっとゲーム界を支配し続けているわけです。


 とはいえ、単に技術的なブレークスルーを追いかければいいのかというと、そう単純な問題でもありません。
  プラットフォームの性能が大幅に向上したプレステの時代以降、それは実際に起こりました。「リアルにすれば面白くなる」かのように勘違いしてしまう関係者が少なくなかったのです。企画書にはそんな文字が飛び交い、実際そんなつもりのゲームが作られましたが、結果は多くが悲惨なものでした。