◆ 事件は会議室で起きる
歩くという運動は、なかなか複雑です。
特記できるのが、それが「倒れる」と「倒れない」の境界線上での運動だとういこと。私たちは、当たり前のように歩くことができますが、これはいちいち考えていないからです。体勢が倒れる前に次のアクションを自律的に繰り出していく、そういう力を私たちは持っています(幼児はまだ練習中なので、しばしば失敗して転びます)。
プロジェクトというもののやっかいさは、この辺に例えられるでしょう。定常業務の場合、各関係者にとっては何度も繰り返している定型作業の集合に過ぎず、どっしりと安定した運動のようなものです。しかしプロジェクトの場合、倒れるようなリスクを冒してこそ成立するものなのです。
そして、参加する人数の多さも、この混乱に拍車をかけます。例えば二足歩行ロボットを操縦しているような状態を想像してみてください。しかも、右と左の手と足に全て別々の操作者がいて、操縦者は彼らに指示を出して歩かせなければならないのです。
これはかなりやっかいです。ただ4人ぐらいなら、何とかなるかも知れません。操縦者が「右!」といえば、右足担当と左足担当が目配せしながら力のバランスを変え、両腕担当の二人もそれにあわせて修正するといった調子で。また、そのロボットが机の上に乗るぐらいのコンパクトなものだったら、多少の問題があっても勢いでなんとかなるでしょう。昔のゲームは、実際に4人ぐらいで作っていましたし、仕事環境も、開発部の島ひとつで納まる程度にコンパクトでした。
しかし今は違います。手足の一本ずつに10人ぐらいの担当者がいる、巨大なロボットをイメージする必要があるのです。こうなると、各操作者も、周りの様子を見ながら適当に修正というわけにはいきません。ひたすらコマンドを待ち、忠実に実行するということになります。異変が起こってもすくに対応できず、最悪の場合ばったりと倒れてしまいます。
これを解決するのは、手や足にも分散された脳がある状態にすることです。企画職、さらには各職種ごとのリーダー級は、そのような意味である程度の「プロデューサー性」を持って仕事に当たっていくべきです。
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職業としてのあいまいさは、一般消費者の方だけを向いている訳ではなりません。当人にとってもそうなようで、自分が何をしなければならないのか解っていない"肩書きだけのプロデューサー"が、しばしば見られまです。
例えば、クリエイターの領域をつまみ食いしようとする人。もちろん作品内容への関与は仕事のうちですが、シナリオライターなりゲームデザイナーなりが責任を持って作り上げるべき部分にまで安易に手を出して来る人がいます。逆に、人・金・物の手配だけで済ましてしまう人もいます。つまりは、インプット部分だけを見ていて、アウトプット部分には気付いていないのです。また、単なる情報伝達人になってしまう人もいます。せめて双方向であれば救いようもあるのですが(でも苛立ちますね)、ひどい場合になると、ほんとうにただのメッセンジャーで、上位者や優位に立つ他部署からのリクエストを伝達するだけ。複数のリクエストが矛盾する場合もお構いなしで、実際に何をやるのかは完全に現場任せだったりします。
これは、業界としてなるべく早く克服しなければいけない問題です。そして、これからこの道に進んでいく人は、自ら解決の当事者として活躍して貰わなければならないのだと思います。