◆ それは退屈から始まった | ゲームデザインエクセレント

◆ それは退屈から始まった

 鉛筆は六角形断面をしています。さいころの目の数と同じなのは偶然なのでしょうが、当然これを見逃すはずがありません。子供の頃、私の手元の鉛筆にはいつも1から6個のドットが打たれていました。授業が退屈なとき、サイコロ遊びをするためです。同じような経験をしていた人も、多いことでしょう。
  さて、サイコロはただの道具で、問題はそれを使って何をするかです。私の場合たいしたことはなくて、せいぜいすごろくのようなものを作った程度でした。ところが高校の頃のクラスメートは、それよりも格段に高度な遊びを開発していました。彼は鉛筆を使って野球をしていたのです。鉛筆にはヒットとかアウトとか書いてあり、それを転がして野球の試合を再現するのですね。やがてパラメータも導入されるなどゲームシステムは本格化、そしてペナントレースまで始め、日本シリーズに至るまでの熱戦が繰り広げられるに至りました。
  彼が長じてスクウェアエニックスに入り、あの『バトエン』を開発した・・・というのは大嘘ですが、実際やっていたことは同じだったのです。


 人類史上初のコンピュータゲームは、1958年にアメリカで作られています。ウィリアム・ヒギンボーサム(William Higinbotham)という物理学者で、研究所の一般公開で見学者に楽しんで貰うための展示品として、二人のプレイヤーがドットを打ち合うテニスのようなゲームを製作したのです。この人が人類初のゲームプログラマということになるでしょう。
  一方、「人類初のゲームデザイナー」となると、これは誰にもわかりません。アナログゲームまで含めて考えなければならないため、時間スケールがいきなり数千年単位になってしまうのです《*1》。ただ、一つ言えることがあります。退屈をもてあましていた創造性豊かな誰かが自然発生的にやった、ということです。
  ゲームをデザインするということは、遊びを作るということなのですが、この辺にジレンマがつきまといます。現代を生きる私たちは、学生であると社会人であるとを問わず、そこそこに忙しい存在です。しかし、遊びというのは貴族的な優雅な生活からこそ出てくるものでもあるのです。
  とはいえ、日常生活のこまごまとした面を、道具と社会システムによってサポートされているため、古代や中世の住人に比べれば王侯貴族のように楽な生活を送っているとも言えます。臆さず、取り組んでいきましょう。