◆ 代用品ではなく | ゲームデザインエクセレント

◆ 代用品ではなく

ゲームというのは多彩なメディアで、デザインがとりうる選択肢は途方もなく広いものです。「そんなものゲームになるわけないだろう」という思いこみを打ち崩すことで、これまでも進化を遂げてきました。"新しさ"が常に求められるという構造が、それを支えているように思います。ゆえに、「こうでなければならない」という教条化ほどナンセンスなものもないでしょう。
  しかし、そのことは「何でもいい」を意味はしません。
 私の考えとして一つ強調したいことがあります。


「はじめから『代用品』として作られているようなゲームには、存在意義などない」

 たとえば、アニメや映画の代用品として作られているゲーム。雑誌には、「壮大なストーリー」「感動の演出」などと並び立てるばかりで、プレイヤーにどんな経験をさせるのかが全く考慮されていないようなゲームの記事なり広告なりがしばしば見受けられます。アクションゲームのようなものでも、キャラクターデザインは誰だとか、声優は誰だとか、そんな話ばかりに終わってしまうタイトルが少なくありません。 いわゆる版権ものの中には、ゲーム内容など全く考慮されていないものもあります。「キャラクター商品の代用」としてしか考えられていないからです。 そして、他ならぬ「ゲームの代用品」として作られているゲームというものも、指摘できるでしょう。典型的には、ライバル機のヒット作に対応させるために作られるゲームや、商品展開の体系に空いた穴を埋めるためだけに作られているようなゲーム。また「×××2009」といった感じでデータだけアップデートしているようなゲームや、新規プラットフォームに対応したリメイク版のゲームなども、ゲームの代用品であるゲームです。 しかし、ゲームは何よりもゲームとして豊かな可能性を持っているのではないでしょうか。
 仮にもゲームデザイナー志望であるのなら、代用品など構想しても意味はありません。他ならぬゲームを志向すべきなのです。


このことは、各分野の専門家が参加するようになった今日のゲームでは、とりわけ大きな意味を持ちます。
 業界に導いてくれた導師から授かった言葉は既に語りました。ここでもうひとつの言葉を紹介します。会社に入ってから、自分の上役である著名なプログラマから言われたことです。


「ゲーム作りから、他の職種がやる仕事を取り除いて残ったもの、それが企画の仕事だ」


本来、仕事内容への戒めとして聞かされたのですが《*4》、今の時代、より広い意味を持つようになっている言葉といえます。
 大きなプロジェクトであれば、それぞれの分野の一流どころを集めることができます。ベストセラー作家が物語を考え、売れっ子脚本家がシナリオを書き、国際映画祭に招待されるような映画監督が映像を作り、ドラマで活躍する俳優がボイスアクターを務める......こんなゲームですら、今日では現実です。
 ゲームプロダクトにおけるゲームデザイナー職種(=プランナー)の役割には、実務的には「何かの代役」的な面が大きいです。これに対応できないことには、日々の仕事が勤まりません。しかし、代役しかできない人間は、いずれは不要になります。
 むしろ、このような場合だからこそ発揮できる力を、ゲームデザイナーなら持ち合わせていなければならないでしょう。それを一言で言えば、「ゲームを生み出す力」となるのです。