◆ デザインの正体 | ゲームデザインエクセレント

◆ デザインの正体

しかし、ほんとうにこれらが「ゲームデザイン」のあるべき姿なのでしょうか。
 ひとつ言えることがあります。「今こうしている」は、「これまでこうしてきた」の時制変換に過ぎないと言うことです。歴史には相応の敬意を払うべきですが、教条化してはいけません。このような形で特定されたゲームデザイナーは、現在の仕事には的確にはまるでしょう。しかし、5年後・10年後も同じように仕事がしていけるものとは限りません。私たちにだいじなのは、過去ではなく未来です。「これからはこうする」なのです。
 言い切ってしまえば、ゲームデザインとは「ゲームのデザイン」です。そこで、まずデザインについて考えてみましょう。


 デザインという考え方は、「作る」を、段階的なプロセスとして捉えることから生まれてきました。例えば手工芸品の場合、デザインはありません。形を考え実際に作り出すまでの工程が、一人の人間が連続して行う一体の作業になっているからです。しかし、ある程度以上の複雑なものを作る場合や、複数の人間が行う場合などでは、段階的な制作が不可欠です。そして「実際に作り出す前にやっておくこと」として、デザインというプロセスを特定する必要があるのです。
 歴史的には、大量生産システムの発達とともに登場しました。英語"design"には「設計」の意味がありますが、最初の段階でのデザインはもっぱらこっちだったでしょう。産業革命以降本格化した近代的な生産システムは、「いかに低コストで大量に作るか」を追求することが基本で、そのためには合理的な設計が必要だったのです。ただ、そうした取り組みの結果、粗雑で画一的な道具が人々の生活空間を満たすようになり、物質的には一応の豊かさが得られたものの、精神的にはかえって貧困さを招いてしまいました。これへの反動として「生活と芸術の統一」《*2》が唱えられるようになりました。仕様さえ満たせればいいのではなく、美しい道具を使うことによってもたらされる精神的な豊かさの方を重視したわけです。そして、大量生産される工業製品には手工芸品とは異なる美しさを追求できるという考えから、モダンデザインという考えが生まれました。さらに技術の進歩が新しい素材をもたらし、また工作可能な形状の範囲も広げられ、多彩な造形を許すようになりました。こうした過程を経て、デザインという言葉も定義しなおされたといえるでしょう。今ではむしろ設計以外の意味の方が重要視されます。
 その根本にあるのは「使っている人の心を豊かにする」という視点です。単に便利なだけの道具では実現しません。美しさを兼ね備えているべきなのです。ただ、美しいからといって、不便さまでも甘受できるというわけではありません。


 総じていえば、行為としてのデザインは「『使う』を前提とした造形」で、機能と美の両面が価値観において重きを置かれるものだといえるでしょう。
 この二面には、見えるものと見えないものとがあります。
 たとえばコカコーラのペットボトルを考えてみましょう。お茶などで使われる六角断面のものとはだいぶ異なる形をしています。全体として円柱で、ブロック的な凹凸もありません。しかし、ウェストは少し絞り込まれ、表面に細かい突起がつけられています。
 まず、形状そのものは"見える美しさ"です。商品そのものをライバルよりも魅力的に見せる必要があるため、外観が重要な要素になってくるのです。表面の突起は"見える機能"でしょう。プレーンな円柱であることと、よく冷やしてから飲む場合が多いこと(=水滴がつきやすい)から生じる「滑りやすさ」「持ちにくさ」が対策されているわけです。ではなぜ円柱なのかというと、これは"見えない機能"です。お茶と異なり、内容物は爆発したくてうずうずしている危険な液体であるため、より高い圧力に耐える必要があるからなのです。そしてウェストの絞り込みこそが込められた哲学="見えない美しさ"です。くびれのある瓶は、19世紀から続く歴史においてコカコーラそのものと一体視されるほどの重要な象徴です。これを受け継いだ形状には、「I am Coke!」という強烈な主張が込められているのです。《*3》
 これは、より技術性の高い分野のデザインにもいえることです。例えば車の場合。パワーやスピードなど数値で表せるものやは"見える機能"、外観は"見える美しさ"で、それを使ったことで感じられるドライバビリティが"見えない機能"、そして、込められた思想・哲学が"見えない美しさ"となります。《*4》
 いいデザインとは、これら全てが高水準で調和していることを言うのです。