◆ まがいものにご用心 | ゲームデザインエクセレント

◆ まがいものにご用心

以上、「デザイン」や「デザイナー」という言葉が案外重いものであることを、ここまでの話でご理解いただけたものと思います。シリーズ全体の序文で書いたように、カタカナ語は単に見栄えをよくするだけの目的で多様される傾向がありますが、真にその分野と本気で取り組みたいと思っているのなら、もっと重さを感じ取って欲しいものです。
 そもそもゲームデザイナーあるいはゲームデザインという言葉も、そうした実体のない言葉なのだとしたら、まじめに論議すること自体がナンセンスでしょう。ところが驚くべきことに、業界人の中にも、その程度の理解で済ませている人がいます。
    「ゲームデザイナー......あ、開発庶務のことね。
     まあそう言っておかないと人が集まらないからねえ」
 しかし、現代のゲームがどのようなものなのかきちんと洞察すれば、これもまた一つの戯画でしかあり得ないこともわかるでしょう。
 まずゲームはエンターテインメントで、特定の機能さえ果たせばいいというものではありません。そして、多段階の工程で作っていかなければならない工業製品で、手工芸品のようなやり方で作ることはできません。である以上、そこにデザインが不要であるはずはないのです。ゲームにおけるデザインとは何かを見極め、それを成し遂げられる人材を確保するというのが、人材開発に携わる人間《*4》のこんにちなすべき仕事です。そしてこのことを反対サイドから見れば、志望者としてのあり方になってくるわけです。


 ところで、近年教育業界で不愉快な流れが顕在化してきています。それは、一部の専門学校が、まがい物の"ゲームデザイン"コースの看板を掲げているということです。単なるグラフィックデザインのコースに「ゲームデザイン」を冠する例がしばしば見られるのです。
 こうしたコースの主宰者の言い分をまとめれば、こんなところなのでしょうか。

    ○グラフィックデザインはデザインである
    ○ゲームにはグラフィックスが使われる
    ○ゆえに、グラフィックデザインをゲームデザインと呼んでも構わない

 これは言語道断といえるでしょう。
 たとえて言うなら、ハードディスクをRAMと呼ぶようなものでしょう。「ランダムアクセスができる、記憶媒体」には違いがありませんが、だからといって「我が社のPCは、RAM500GB実装です!」なんて売り込んだらほとんど詐欺ですね。
 どんな分野でも、独自の用語があります。たとえ外部の人間から見て耳慣れない響きを持っていたとしても、それぞれの関係者たちが長い年月をかけて形成してきたものです。歴史の浅い分野ですが、ゲームだって同じです。ゲームデザインはゲームデザイン、グラフィックスはグラフィックス。全然別の意味なのです。それを「見栄えがいい」からと安易に別の意味に使うというのは、どういうつもりなのでしょうか。「ゲーム業界に人材を送り出す」などと言いながら、その実、業界への敬意などこれっぽっちも持っていないということの現れでしょう。あるいは、真剣に志望する若者たちを「騙して入学させてしまえ!」という狙いなのかも知れません。

 学校というシステムもまた「段階的に作っていかなければできあがらない複雑なもの」で、工業製品同様デザインされなければならないでしょう(個人経営の塾なら、手工芸でいいのですが)。いんちきなデザインコースを作っているような学校は、まず自身をデザインする必要がありますね。