YouTubeで懐かしいレースを探していたら、1985年の全日本ロードレース第4戦・筑波が見つかりました。
これは 「モータースポーツダイジェスト」 と言って、80年代中期頃まで、関西ではサンテレビで深夜に放送されていた15分枠の番組。
ナレーションは上恭ノ介さん。
特撮ファンにはお馴染み、"円谷プロ" の 「恐竜大戦争アイゼンボーグ」 では、主人公の立花善の声も担当されていました。
85年と言うと、バイクブーム真っ只中で、全日本のチケットも飛ぶように売れていた時代。
動画のインタビューで HRCの故・阿部孝夫さんが言っておられるように、ワークスライダーでも走れる時間が取れないくらいノービス(アマチュア)も沢山いました。
鈴鹿の4時間耐久なんかではエントリー台数が普通に600台越え!(決勝グリッドの10倍!)・・・みたいな。
僕がレースをしていたのは90年代に入ってからの約10年間で、その頃には台数が徐々に減ってきてはいましたが、それでもまだ結構なエントリー台数でしたので、特に鈴鹿選手権なんかでは 予選EとかFグループなんて事もザラにありました。
それにタイムも拮抗していたので、頑張れば なんとか良い成績を残せるのではないかと、1日2食・ほぼ毎晩インスタントラーメン(カップは高いから袋のやつ!)のドケチ生活、友人の遊びの誘いも ことごとく断り、毎日の肉体労働で資金繰り。
鈴鹿(フル・南)とTI(現・岡山国際)の走行スケジュールの中から、金が許す限り走れるだけの走行枠とパーツ等に有り金の殆どを使いながら毎日必死でした (^^;)
あの頃のアマチュアレーサーは、皆そうだったんじゃないかなぁ。
しんどかったけど、やり甲斐が有って楽しかったです。 あぁ、古き良き時代 (T T)
現在はグリッド割れ(エントリー台数が、決勝フルグリッドに満たない事)したりするレースも結構有るようで・・・。
これから先、レース人口が増える事なんて有るのだろうか? 寂しいなぁ。
で、動画ですが、当時の全日本の最高峰・GP500の3年連続チャンピオン・平忠彦選手にスズキの水谷勝選手とホンダの木下恵司選手が果敢に挑むという お決まりの図式で、毎回のように熱いレースが繰り広げられました。
この頃の平選手は本当にカッコイイです。
僕は当時中学生でしたが、モデルと見間違えそうな甘いマスクを持ち、日本では敵無しと言われた平選手には本当に憧れましたね。
この2ヶ月後、鈴鹿8耐でケニー・ロバーツとTECH21チームとして出場。
86年からはWGPの250ccにフルエントリー。
開幕戦スペインで予選2位、最終戦サンマリノで優勝と "世界の平" として脚光を浴びました。