昨日ね、自分の書いたブログに何気なく
「ネット弁慶」っていうタイトルを
つけたんだけどさ

その時は、ネット弁慶ってことばを
理解してるような気がして
自分が該当者だと思ったんだけど

ほんまにそうなのかなって思って
Googleで検索してみたんだよね

だいだいのネット弁慶の概要を読んで
うん、うんって頷いていたんだけど

ひとつ、自分に該当しないなぁって
思ったから、ちょっとめんどいけど
該当しない部分をあぶり出してみる

ネット弁慶と言われる人は、大きく分けて
↪【ネットでは居丈高だけど】
↪【現実生活ではおとなしい】
……っていう定義らしいんだよね

自分もさ、一見その定義に
該当するかなぁって思ったの

なぜなら、社会集団の中では
自分以外は、全員が他人だから
いくらなんでも境界線を見誤って
居丈高になることはないだろうと

自分は、そうであってほしい
そんな、つまらないことで居丈高に
なるはずはない…っていう願望も込めて
過去を振り返ってみた

そうするとね
場合、場合によって違うんだよね

接客業だったときは
かたくなに、怒りをあらわすことを
自戒していたから

自分対お客様の時は、たとえどんな状況でも
善処しよう、穏便にコトを進めよう

正義を振りかざす時を間違えると
築き上げた信用を一瞬で失なうぞ

そんなような気持ちで
アンガー・マネージメントも、たやすく
出来ていたような気がする

実際、接客のプロと呼ばれていたし

薄気味悪い自慢話になるかもだけど
毎日、毎日お客様に褒められて
ずーーーっと持ち上げられて
ちょっと勘違いしてしまうほど
それくらいヨイショされてた

だけど、うまくいっていたのは
自分対お客様の場合であって

じゃあ、自分対同僚、もしくは上司
そうなると、なかなかどうして
難しかったんだよね

たぶんさ、
自分対お客様の場合は
そこに利害は発生しないじゃない?

もちろん、業種によっては
利害関係が一致する場合もある

だけど、むしろ利害関係図の中に
組み込まれているのは同じ組織内の
人間の場合が多いよね

だからこそ、
利害関係が一致するからこその摩擦もあり
あちらを立てれば、こちらが立たず的な
軋轢もあり、決して綺麗事では済まない

そうなると、
引いてはいけない状況に、おのずと
遭遇する場合もあるよね

ガチの話し合いとか

そういうね、ガチの本性が出る時は私自身
強情極まりなかった気がする

押しても引いても叩いても動かされない
そんな強情極まりなさ

だからね
【ネット弁慶】っていうスラング
あっ自分に当てはまってるよな
なんか居丈高になってんぞ
調子こくなや
…………そういう瞬間ある

瞬間湯沸し器みたいになって


だけどさ、元々、生粋のおとなしい人が
本当にネット弁慶になりうるかな?

私は、そうは思わない

元々さ、「盗っ人猛猛しい」みたいな
気質を持ち合わせてるんだと思うよ

それが縁に触れて出てきて
「正体をあらわす」

実際は、そういうところなんじゃないかと
思う、痛いところをつくけど

だから、私ネット弁慶(○´∀`○)
なんて、どのツラさげて言うんや
ぐらいのことなんだけど

敢えて、それを言う人の心理は結構
複雑なんじゃないでしょうか?

自分も含めてね