ダニエル・ブーンの辺境物語

 ダニエル・ブーンはケンタッキーに住む愛国者で、生きているレジェンドになった。彼は10代の初めごろに、馬に蹄鉄を打つ、土地を鋤で耕す、ライフル銃を発射する、シカの皮を剥ぐことができたと言われ、文字を綴ることを習わなかったが、公的資格のある測量技師になるための十分な計算能力を身に付けた。

 彼はフレンチ・アンド・インディアン戦争のとき、ちょうど21歳となり、植民地市民軍に参加するために、ノースカロライナのバッファロー・リックの農場から出発した。そのとき、彼はアパラチア山脈の向こう側に肥沃な土地があり、関心を持った。そこで、最初は、猟師として、その後は、土地開発者として、自分でその土地を行って確かめようとした。

 そして、遂に、1775年に、仲間の30人の男たちとともに、ヴァージニアからケンタッキーの山々を越えて、辺境へと旅立ったのである。その旅程で、未開の荒野にウィルダーネス・ロードを切り開き、そして、荒野にブーンズボローという町を建設しようとした。

 建設したブーンズボローは独立戦争がニューイングランドから南部地域になだれ込んだときに、先住民たちやかつてアメリカの植民地を開いてきた英国人たちによる襲撃に悩まされるようになった。

 ブーンズボローは肥沃な土地の中心地だったので、彼らの当然のターゲットとなった。そこで、住民たちは休みなく続く襲撃を防ぎながら、木造の防御柵に囲まれた住居に住んだ。

 1778年2月のある日、ブーンたちは塩を採取するために、柵の外に危険を冒して出かけたが、彼らは先住民のショーニー族の勇士たちに捕まってしまった。ブーンは危機的状況をなんとか回避するために、冷静にショーニー族の酋長に交渉を持ちかけた。すると、酋長は彼らを殺害せず、部族に引き入れてくれた。

 しかし、ブーンたちは望郷の念に駆られて、いつか逃亡しようと、逃亡の機会を狙っていた。そして、その機会を得て、ブーンズボローに逃げ戻った。しかし、まもなく、避けられない攻撃が起こった。

 ほぼ450人の先住民たちと英国軍兵士たちによって編成された集団の激しい攻撃が始まった。さらに、7日間に及ぶ包囲攻撃の後、ブーンたちはその攻撃を撃退したのである。

 ブーンが生きている辺境のヒーローとなったのは、たまたまその地域に旅行中の教師ジョン・フィルソンがその旅行記を書いたことで始まった。その旅行記は、『発見、入植地、そして、現在のケンタッキー州』で、フィルソンはブーンの偉業を感傷的に書き綴った。

 この旅行記はアメリカとヨーロッパで評判を呼び、大成功を収めた。そして、その主人公は典型的な辺境のヒーローとして世界的に有名になった。

 ブーンは85歳まで生き、その旅行記を声を出して読まれたときには、その声を聴きとれなかったかもしれないが、しかし、すべての言葉は真実で、彼は自身の伝説を信じるようになったのである。