乗馬技術は必修アイテム

 アメリカ独立戦争を巧みに立案したサミュエル・アダムズはその時、馬術を身に付けてはいなかった。その当時、アメリカ植民地の子供たちは現代の子供たちが自転車に乗るのを習うように早くから馬術を習ったのである。

 しかし、サミュエル・アダムズはそうではなかった。彼は52歳になるまで、馬術を身に付けていなかった。彼が愛国心をアピールし、政治家として権力を得るためには、乗馬が必要不可欠な条件だった。

 それでも、サミュエルは馬に乗ることきに、二人の使用人の力を借りなければならなかった。だから、英国軍がサミュエル・アダムズとジョン・ハンコックを捕まえるために、レキシントンに進軍してきたとき、二人は身を隠し、馬で逃げる代わりに、ハンコックの四輪馬車で逃げたのである。

 その年の9月に、サミュエル・アダムズは従兄弟のジョン・アダムズとボストンからフィラデルフィアで行われた大陸会議に出かけるとき、ジョンはサミュエルに、乗馬が政治家の必修アイテムであるということを説得した。

 その話を聞き、サミュエルはアダムズ家のポニーに跨り、「とても乗り心地が良い。心配がないくらいの小さな馬だ」と喜んだ。そして、まる1日、乗馬をこなし、何とか自尊心を満足させたが、彼のお尻は大変だった。

 ジョンはサミュエルの鞍ずれの痛みを和らげるために、尻当てを一枚重ねさせた。そして、繰り返し、乗馬を練習させ、驚くほど乗馬技術を向上させたのである。その後、二人がフィラデルフィアに着く時までに、彼らの使用人たちはサミュエルの乗馬技術の進歩を認めざるをえなくなっていた。

 英国軍による逮捕を免れてフィラデルフィアの大陸会議に集まったとき、サミュエルは乗馬技術の向上だけでなく、今後の政治家人生における可能性が増したことをジョンに感謝したのである。