真夜中に馬で駆け抜けた人々

 独立戦争中にきわめて重要な情報を伝えた通信使は馬に乗りながら、猛烈なスピードで植民地を駆け巡った。

 イスラエル・ビッセルは1775年4月19日、マサチューセッツのレキシントンでの最初の衝突について、警鐘を鳴らすために、ボストンからニューヨーク、そして、フィラデルフィアに向かって馬で疾走した郵便配達人だった。

 23歳のイスラエル・ビッセルは馬に乗り出発した。彼の小さなバックには、「密使は植民地住民に対する非常に重要な警告を委ねられている。すべての人々は彼が必要とするときに、丈夫な馬と必要物を提供されることをお願いする」と書かれた委任状があった。

 ビッセルはマサチューセッツのウォータータウンからウースターまで、ほぼ30マイルをまさに2時間で、馬で駆け抜けたのである。彼が到着したときに、馬は瀕死の状態だったと伝えられる。

 しかし、ビッセルはへっちゃらの様子で、「武器を、武器を、戦争が始まった!」と叫び、そして、すぐに、新しい馬に跨り、3日後の4月21日に、同じ警告を抱えて、ニューヘブンに到着した。その後もほとんど休まず6日間で、全行程345マイルを馬で駆け抜けながら、4月25日にフィラデルフィアに辿り着いた。

 真夜中に馬で駆け抜けた人々はビッセルの他にもいく人もいた。27歳のヴァージニア民兵軍大尉のジョン・ジュエットはルイジアナ郡の居酒屋で数人の英国軍兵士と巡り合ったとき、彼は英国軍がヴァージニア総督トマス・ジェファーソンを大勢の革命的指導者たちと協力しているという理由で、逮捕しようとしていることを耳にした。

 そこで、ジュエットはすばやくサラブレッドに跨り、真っ暗闇の荒野をほぼ50マイルも駆け続け、英国軍が逮捕に来る前に、モンテセロのジェファーソンの家に到着して危急を伝えた。

 そのような状況でも、真夜中に馬で駆け抜けた人々は男だけではなかった。1777年4月に、16歳のシビル・ラディントンはニューヨークのパットナム郡から英国軍の進軍を警告するために、40マイルの暗闇を馬で走ることを申し出た。そして、彼女は住民たちに「目を覚ませ」と大きな棒でドアを叩きながら、町中を駆け抜けた。

 さらに、23歳のコネチカットのデボラ・チャンピオンはアメリカ軍の給料名簿をマサチューセッツのケンブリッジにいたジョージ・ワシントンの司令部に届けるために、英国軍の最前線の中を100マイルも走り通した。泥まみれの彼女は英国軍との境界線で、一人の英国軍兵士にとがめられたが、馬を走らせ、翌朝、ワイントンの前で敬礼をしていたという。