現在のケンタッキーの大部分

 トランシルバニアは現在のケンタッキーの大部分で、大陸会議に14番目の植民地として認めるように請願した。

 1775年3月17日に、相場投資家リチャード・ヘンダーソンは1万ポンドに値する銃、衣服、ラム酒、そして、他の雑貨品などとの交換で、先住民チェロキー族から広大なアパラチアの原野を入手し、その土地をトランシルバニアと名付けた。

 その原野をヴァージニアとノースカロライナが所有権の譲渡を申し入れた。しかし、トランシルバニア創設者ヘンダーソンは利益を得る手段として、その地域を切り刻む気持ちはなかった。

 その代わり、ヘンダーソンは探検家のダニエル・ブーンを協力者として雇い、彼らは入植地ブーンズボロを設立した。そして、東海岸からの移民を定着させることをめざした。

 このような状況で、ノースカロライナの総督は東海岸からの入植者を“陸の略奪者”という烙印を押した。そして、彼らに所有地を手放すように要求した。しかし、ブーンズボロはすぐに町の体裁を整えて、他の植民地のように目鼻が立ったのである。

 その後、トランシルバニアの住民たちは自身の土地を守るために、アメリカにおける14番目の植民地トランシルバニア創設を大陸会議に請願した。しかし、マサチューセッツ代表のジョン・アダムズはトランシルバニアの植民地承認が英国と間に強い緊張関係を作り出す可能性があると警告を発した。そのため、トランシルバニア創設の請願は否決された。

 一方で、トランシルバニアの住民たちの間に緊張関係が生じた。というのは、入植者たちは先住民チェロキー族の襲撃の怒りを募らせていたからだ。そして、ヴァージニアの一部になることが自らを守る道と考えた。

 そして、1776年12月に、トランシルバニアはヴァージニアの一部となったが、その後、20年も経たないうちに、その地域はケンタッキーになったのである。