ニューハンプシャーの愛国者たち

 ニューハンプシャーの愛国者たちはレキシントンとコンコードの戦いの4か月前に、紛争の勃発に備えて武器を徐々に探し始めた。そのターゲットはニューハンプシャーのポースマスにあるフォート・ウィリアム・アンド・メアリーの軍備倉庫だった。

 南隣にあるマサチューセッツの愛国者たちはその砦が英国軍トマス・ゲイグ将軍によって、「補充兵が動員され、守備が堅固にされる」という情報を入手した。そのため、ニューハンプシャーの愛国者たちが貴重な軍需品を手に入れるには不可能だと思われた。

 そこで、マサチューセッツの愛国者たちはニューハンプシャーの愛国者たちが将来の増援部隊になると考えて、彼らに警告をするために、ボストンの銀細工職人のポール・リヴェアを特使として送ることにした。

 特使となったリヴェアは直ちに馬にまたがり、ポースマスに向かって60マイルの道を急ぎに急いだ。道は早朝からの降雪や氷結でぬかるんでいて、滑りやすかった。さらに、強い西風が彼の前進を困難にした。

 それでも、彼は次の日の午後に到着し、馬は疲れ切り、ほとんど死にかけていたが、すばやく現地の「通信連絡委員会」に「砦は増強されている」という伝言事項を述べた。

 ポースマスでは、愛国者たちがマサチューセッツからの警告を確認し、行動を開始した。12月14日、ほぼ400人の武装した愛国者たちはピスタカクォー川を小さなボートで漕ぎだし、フォート・ウィリアム・アンド・メアリーに向かった。

 砦に着いた彼らは不意打ちをかけて、無条件降伏を要求した。しかし、その要求に対して6人の英国軍兵士が抵抗を始めたが、愛国者たちの方が明らかに数で優っていたのだ。勝利を収めた愛国者たちは100樽の火薬と100丁の携帯用ピストルを戦利品として携え、砦を後にした。

 無血襲撃。このニューハンプシャーの愛国者たちの襲撃は武装していたが、流血なしに成功した。しかし、4か月後、事態は大きく変わることになる。そして、8年という長年にわたる困難な戦いに火ぶたを切られ、マサチューセッツのレキシントンとコンコードで銃声が響き渡ったとき、100人以上の人々が死んだのである。