グリーン・マウンテン・ボーイズ

 バーモントと接するニューヨークとニューハンプシャーは英国国王が不注意にも二つの植民地に特権を認めたという理由で、長い間、“バーモントがどちらに属するか”という土地紛争に巻き込まれてきた。

 バーモントはフランス語の緑の山という意味で、ニューヨークを直轄植民地とした英国の支配のもとであったが、イーザン・アレンと彼の仲間たち=バーモント義勇連隊(バーモント・マウンテン・ボーイズ)が1770年から5年間続いた対英独立戦争でゲリラ戦術を駆使して勝利した。

 そして、1777年に独立共和国を宣言した。当初は新コネチカットと名乗り、その後に、バーモントに改名し、1791年アメリカ合衆国に加盟したのである。

 イーザン・アレンはニューハンプシャー・グランツとして知られ、フレンチ・アンド・インディアン戦争に従軍兵として参加し、その後、1770年に、英国にバーモントを諦めるように説得し始めた。

 そして、彼はバーモント義勇連隊を組織してニューヨーク北部に侵入し、小屋を燃やす、牛を盗む、塀を壊すなどの電撃作戦を開始した。

 しかし、作戦の途中で、アメリカ独立戦争が勃発し、ベネディクト・アーノルドと連携を取りながら、1775年5月に、英国が支配しているタイコンデローガ砦に向かって進軍した。そして、タイコンデローガ砦を陥落させた。

 一方で、アレンはカナダへの侵略を試みたことで、英国に逮捕され、囚人としてほぼ3年間英国で過ごした。その後、彼はバーモントに戻り、バーモント義勇連隊を指揮して、バーモントの独立の道を開いたのである。