文化は戦争に優先する

 「鎌倉駅」西口広場に、鎌倉のシンボルとして市民に親しまれてきた「鎌倉駅」のトンガリ屋根の時計塔が置かれている。この時計塔は昭和五十八年(1983)に、「鎌倉駅」改修にともなってここに移されてきたものである。

 この広場の奥に、ラングストン・ウォーナー博士の長方形の記念碑が立っている。ウォーナー博士はアメリカの美術学者で、ハーバード大学卒業後来日し、東京美術学校で岡倉天心のもと、日本の古美術の調査・研究を行い、日本の古美術を海外に紹介した人である。

 博士は太平洋戦争が始まると、アメリカの「戦争地域における美術および歴史遺跡の保護救済に関する委員会」に参加し、京都・奈良・鎌倉など美術的価値のある博物館や保存すべきものと場所のリストを“ウォーナー・リスト”として委員会に提出した。

 そのリストはアメリカ大統領の決裁を得て、アメリカ陸軍司令部など、関係機関に配布された。そのリストの中には、鎌倉国宝館や円覚寺舎利殿、鎌倉大仏も記載されていて、結果として、鎌倉は戦災を受けることなく、文化財は保護されたのである。

 このようなウォーナー博士の業績を偲び、顕彰のための記念碑を建てようという声が上がり、昭和六十二年(1987)に、鎌倉同人会が鎌倉駅西口広場に“文化は戦争に優先する”と彫られた石碑を建設した。

 その碑には、「博士が日本古美術や文化を研究し、太平洋戦争時には、日本の三大古都や全土の芸術的歴史的建造物に戦禍が及ばないよう強く訴えたため、日本の文化財が襲撃から免れたこと、古都保存法20周年にあたり、博士が歴史と文化の保護に示した強靭な意思を長く伝え学ぶために、記念碑を建てた」と日本語と英文で書かれている。

 鎌倉同人会は毎年、ウォーナー博士の命日(6月9日)に近い6月の第二土曜日に鎌倉駅西口広場で、碑前祭を行っている。