化粧坂

 海蔵寺から横須賀線のガードの方へ150mほど戻って右折し、ゆるい坂道を50mほど行くと、左側の道端のやや高い所に、半分壊れたやぐらがある。このやぐらは「景清の牢」と言われ、平景清が押し込められていた所という。

 そこを過ぎると坂道は急になり、右側に、「假粧坂(仮粧坂)」という史蹟指導標が立っている。

 この仮粧坂(けわいざか)は鎌倉七切通の一つで、化粧坂とも書く。この坂の名前の起こりは平家の大将の首をここで化粧して、首実検をしたことからその名がついたとか、また、この辺りに町家があって、化粧した女性たちがいたからとか、木がよく生え繁っていたので、木生えとか、気勢(気生=きはえ、形勢=けわい)などと呼ばれていたことからきているとも言われている。

 この険しい坂道は鎌倉時代には、藤沢から武蔵方面に通じる重要な道で、新田義貞が元弘三年(1333)五月に、鎌倉を攻めたとき、仮粧坂に軍を向け向けたので、激戦となった所である。

 なお、その当時、「気和飛坂(けわひざか)という名でも呼ばれ、商業地域の一つとされていたのである。急で、険しい古道の名残りがをある仮粧坂を上ると源氏山公園になる。