薬王寺の前の道をさらに200mほど上って行くと、鎌倉七切通の一つである亀ケ谷坂(かめがやつざか)になる。

 この亀ケ谷坂の上り口の右側に、明治時代に日蓮を研究して、高山樗牛に影響を与えた田中智学の「師子王文庫」の石碑が立っている。

 これを越えると、長寿寺の脇を通って、建長寺に続くバス通りに出る。

 亀ケ谷坂については、「あるとき、建長寺の大覚池にいた亀がこの坂を上って行ったが、頂上まで行くことができずに、引き返してきた。このことから、亀返坂(かめかえりざか)と言われるようになり、それがいつのころからか、亀ケ谷坂となった」という話が伝えられる。

 この坂の北側は延寿堂谷(えんじゅどうだに)といい、今は墓地だが、昔、ここに建長寺の僧たちが身体を悪くしたときに、療養した延寿堂があったので、それが谷の名前になったようである。

 亀ケ谷坂は扇ガ谷と山ノ内を結び、武蔵方面へも通じる道でもあった。