松光山啓運寺:日蓮宗

 大町四ツ角の交差点からの道に戻り、右折して材木座海岸方面に向かって、100mほど行くと、水道路の十字路がある。その十字路を越えて、50mほど進むと、すぐ右手奥に、松光山という山号の啓運寺がある。

 参道を入ると左側に、「南無妙法蓮華経 啓運寺」と書かれた石碑があり、参道を進んで、門を入ると、境内正面に、昭和八年(1933)に再建された本堂が建っている。

 啓運寺の開山は妙法寺十一世住職の啓運日澄で、文明十五年(1483)に創建された。創建当初のお堂は松葉ケ谷に建てられたが、その後、現在の場所に移された。日澄は文亀三年(1503)に『啓運鈔』という55巻からなる法華経の研究書を著すなど学僧として知られる。

 永正七年(1519)、日澄の死後、明治四十年(1907)まで、日蓮宗長勝寺の末寺として長勝寺住職が兼務したと言う。長勝寺を老齢で退職した住職がこの啓運寺の専任住職になってから現在まで続いている。

 画家の黒田清輝が本堂をアトリエ代わりに使ったこともあり、そこで「日蓮の辻説法」という名画を描きあげた。

 本堂には、三宝本尊と曼荼羅と日蓮上人像が祀られ、また、「船守稲荷像」が祀られ、海難のお守りとして、船員や漁師の信仰を集めている。