石井山長勝寺:日蓮宗

 安国論寺を出て左に進むと、バス通りにぶつかる。そして、横須賀線の踏切を渡り、逗子方面に向かうと、すぐ右手に日蓮宗の長勝寺がある。

 日蓮が鎌倉に営んだ「松葉ケ谷小庵」は現在の寺地にあるとして、日蓮を開山とする。また、本圀寺の旧地とも言われ、開基を石井長勝としている。

 弘長三年(1263)に、日蓮が伊豆の配所から鎌倉に戻って来たとき、日蓮に帰依した石井長勝が自邸に小庵を建てて、寄進したのが本圀寺の始まりであるという。その後、貞和元年(1345)に、本圀寺が京都に移り、廃寺となっていたのを日静が再興し、開基の石井長勝に因んで、石井山長勝寺と名付けたと言う。

 「厄除開運 帝釈尊天」と書かれた門を入ると、右手に山門があり、山門手前に寺の由来を記した説明版が建っている。

 山門を入った右側の石段の上に、室町時代初期の唐様建築である法華堂とか、法華三昧堂とも言われる祖師堂がある。祖師堂は正面の柱の間が五つある建築様式で、この形式のものでは、関東最古のものと言われ、内部には、日蓮上人像の他、大檀(護摩を焚く護摩壇)、鰐口(仏堂前の軒下に吊るすもの)、懸盤(儀式のときに使う食器台)なども置かれている。

 境内の正面には、金色の宝珠が目立つ帝釈堂がある。帝釈堂には、帝釈天が祀られている多宝塔があって、帝釈天は日蓮が「松葉ケ谷法難」のとき、白猿を遣わして日蓮を救ったということから、帝釈天出現の霊場として崇拝されているという。

 帝釈堂の前には、台座を含む高さが約8メートルもある大きな日蓮の銅像が立っている。この銅像は高村光雲の作で、辻説法姿を形どっている。この像は東京の洗足池のほとりから長勝寺の裏山の墓地内に移建されたもので、昭和五十七年にここに移された。帝釈天や多聞天の四天王とともに祀られている。

 境内にはその他、帝釈堂の左手高台に、本師堂と言われる八角堂が建てられ、タイから渡来の黄金釈迦像が安置され、帝釈堂の右手には、「久遠」の額が架かる六角堂があり、また、祖師没後700年を記念する多宝塔もある。