祇園山長楽寺安養院:浄土宗

 上行寺と道路を隔てた向かい側にある寺が安養院である。前身は北条政子が嘉禄元年(1225)に、源頼朝の菩提を弔うために、長谷笹目ケ谷に建立した長楽寺(律宗)で、開山は願行房憲静と伝える。

 元弘三年(1333)、鎌倉幕府滅亡のときに焼失したが、浄土宗第三祖記主良忠の高弟良弁尊観が創建した浄土宗善導寺の跡に移って再興し、政子の法名をとって安養院と改名したという。ここは浄土宗名越派の根本道場であった善導寺の遺跡で、浄土宗を受け継いでいるので、現在の開山を良弁尊観としている。

 延宝八年(1680)、門外の町屋からの失火で全焼した後、比企ケ谷にあった末寺の田代観音堂を移して再建した。そのため、安養院田代寺とも呼ばれ、坂東三十三か所観音霊場第三番の札所となっている。

 山門を入ると、左側の小さなお堂があり、そこに石造地蔵菩薩像が安置されていて、定めた日数に願いをかなえてくれると言うので、「日限地蔵(ひぎりじぞう)」と呼ばれている。その奥に、尊観上人が植えたという槙の巨木があり、その木は樹齢七百年と言われている。

 本堂では、正面の前方に、本尊の阿弥陀如来坐像を祀り、その後ろに、田代寺にあった千手観音像が安置されている。本尊に向かって左脇に、尼僧の北条政子像と法然像、善導大師像が安置され、その奥には、願行上人像、尊観上人像があり、右脇には、釈迦如来の誕生仏像と涅槃図が掲げられている。さらに、「安養院如実妙観大禅定尼」と記した北条政子の位牌も安置されている。

 本堂の裏手には、安山岩製の宝篋印塔があり、徳治三年(1308)七月の銘が刻まれていて、鎌倉に現存する年号がわかる宝篋印塔では、最古のものである。名越善導寺の開山尊観上人の墓と伝えられ、その脇のやや小ぶりの宝篋印塔は北条政子の墓(供養塔)と伝えられる。