五大堂

 「鎌倉駅」から「大塔宮」、「ハイランド」、「金沢八景」方面行きのバスに乗り、「泉水橋」で下車。バス停からバス通りを金沢八景方面に150mほど進み、左に分かれる道に入るとすぐに、「二ツ橋」という小さな橋がある。橋の下には、二つの石があり、橋から落ちても明王院の不動明のおかげで、けがをしないので、「不動けがなしの石」と言われている。

 橋を渡ると、道の左に「五大堂明王院」の石柱があり、正面の黒い木を組んだ冠木門をくぐって、生垣の間を進むと、正面に蔀戸が入った茅葺の本堂がある。

 明王院は嘉禎元年(1235)に、鎌倉幕府第四代将軍藤原頼経を開基とし、前鶴岡八幡宮別当定豪(じょうごう)を開山として創建された。本尊は不動明王で、もとは、不動明王以下、降三世、軍荼利(ぐんだり)、大威徳、金剛夜叉を五つの大きな御堂に安置したので五大堂と呼ばれた。

 頼経が創建を発願したのが寛喜三年(1231)だったので、「寛喜寺」とも称され、将軍の御願寺として高い寺格を持ち、当時の別当職は鶴岡八幡宮寺、永福寺、勝長寿院の別当職と並ぶ四箇重職の一つと言われる地位にあった。

 鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方から祈願寺として重んじられてきたが、鎌倉公方が下総古河に去るとともに、衰退したらしい。寛永年間(1624~44)の火災で、現存する不動明王一体だけが残ったという。

 現在、本堂には、不動明王を中心にして、正徳二年(1712)作の降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王が祀られ、脇には、大日如来、薬師如来、藤原頼経像、鎌槍を持った稲荷像が安置されている。