鷲峰山真言院覚園寺:古義真言宗

 「鎌倉駅」から「大塔宮」行きのバスに乗り、「大塔宮」で下車。そして、鎌倉宮の鳥居の前から600mほど谷の奥に入ると、突き当りに覚園寺(かくおんじ)がある。境内に入ると、正面の林の中に、本堂である薬師堂への道が続き、中世の面影を残している。

 建保六年(1218)に、鎌倉幕府第二代執権北条義時はこの地に、大倉薬師堂を建立した。その後、第九代執権北条貞時が永仁四年(1296)に、再び元寇が起こらぬことを祈って、智海心慧(ちかいしんえ)を開山とし、大倉薬師堂を改めて、寺として建立したのが覚園寺である。

 山号は鷲峰山(じゅぶせん)だが、建武の中興時に、後醍醐天皇から勅願寺とされ、さらに、室町時代には、鎌倉公方の足利氏の祈願所として栄えた。もともとは、真言・律・禅・浄土の四宗兼学であったが、明治初年の一寺一宗との定めによって、本山の京都泉涌寺にならい、古義真言宗となったのである。

 寺伝によると、建武四年(1337)に火災に遭い、堂宇再興のため足利尊氏に寺領の寄進を請い、文和三年(1354)に仏殿が完成した。その後、文政十二年(1830)にも、火災に遭い、寺は無住になり、荒廃していたが、天保十四年(1843)~弘化四年(1847)にかけて、寺域の整備、仏像の修復、客殿の再建などを行ってきたという。

 現在、境内の入り口右手に「愛染堂」、そして、真っすぐ進むと茅葺寄棟造りの仏殿「薬師堂」が建っていて、薬師堂の前には地蔵堂があり、薬師堂の右奥には、江戸時代の名主農家の旧内海家住宅、さらに、石仏を祀ったやぐらがある。

 愛染堂には、木造愛染明王坐像、鉄造不動明王坐像、阿閦如来坐像(あしゅくにょらいざぞう)があり、いずれも旧大楽寺にあったものである。そのほか、木造阿弥陀如来坐像、南山律師像、泉涌寺開山俊芿律師像(しゅんじょうりっしぞう)、大智律師像、願行上人像などがある。

 また、薬師堂は元禄二年(1689)に造り直され、天井には、丸い龍の絵が描かれている。その天井の両脇の梁には、文和三年(1354)に、足利尊氏が書いたと言われる銘文が記されている。本尊は薬師三尊像で、堂内左右には、薬師如来の教えを守る十二神将像がある。さらに、堂の右奥には、理智光寺の本尊だった阿弥陀如来像、別名、鞘阿弥陀(さやあみだ)が安置されている。